私は存在しない、その私とは「思考」「想念」なのです


この思考、これもエネルギーです。

思考が思考を呼びます

エネルギーがエネルギーを増大させています


では、そうではないもの

それは現実に触れている五感です

日常思考を働かないでいる瞬間はと言えば、いくらでもあります


朝目が覚めて、ベッドが立ち上がり、スリッパを履いて、ドアを開けて廊下を歩きあくびをしながら階段を降りる

洗面所のドアを開けて、歯を磨き、水道の蛇口を開けて水を出し、顔を洗う、洗面所のドアを開けて、廊下を歩きリビングのドアを開けて、、、、


この一連の動作

この動作に思考が働いているでしょうか?


ここに存在するのは現実という事実、大袈裟に言えば今生きているというエネルギーです


ここに意識を向けていますか?

多分身体は勝手に動いているけど頭の中は全く違うことを考えているでしょう。確かめればわかります


エネルギーは目には見えない力です

供給すればするほど何倍にもなります


よくあるでしょう?

例えば息子の帰りが遅い、ラインの既読もない、、現象としては大したことはありません。それなりの事情があるのでしょう。

でも気になり出したら、それが大きく膨らんでいきます、これが心配という否定的なエネルギーに力を与えて、大きくさせるということです。

そして思考は判断を求めます、判断するために思考を働かせています

判断するために思考しています。そしてどんどん深刻な自分になっていくのです


そして、否定的な思考だけが膨らみ、肯定的、つまり楽しみや喜びの思考はあまり膨らみません

子供の頃は違いましたね、遠足の前の日は眠れなかったものです


思考が思考を増大させます

徹底的に徹底的に事実を確かめながら生活すると、そのエネルギーが増大します

別に特別なことではありません。

意識を向ける、確かめる、、、それだけです


そんの些細なエネルギーが積み重なると大きな現実の目覚めを呼ぶのです


極端に言うと

例えば街中にあるたくさんの木に意識を向け続けるとします。木は街中にたくさんあります。それは現実です。すると木の本質が見えてくるのです

それはあなたにのみ意味があります。


そうです、そしてそれを考えたとすれば

「答えにならねえ」答えが現れます、「空」の意識です


例えば自転車に乗って街路樹をひとつひとつ見ていくと、さっき見た街路樹はもうない、、、と言うことに気づいたりするのです

一瞬が全てだと体感したりするのです

でもそのことを探求しても最後は

「言葉にならねえ」です


わかりますかねえ?

答えにならない意識(エネルギー)を積み重ねると

理解を超越する意識が現れます

常に答えは理解、自分、思考などを超越するものなので、「これが答えだ!これが真理だ!」はありません


一瞬しかないと認識すると、「腹が立つ」「不安だ」ということがただの思考だと気づいたりするのです。ほんとはそこにはなにも起きていないんじゃ?という事実を認識し始めるのです


今ここに意識を向けると、自分の身体の動きが面白くなったり楽しくなったりするのです

動いてくれてありがとうという感謝も生まれたりするのです

目や指の動きに感動したりするのです

人間の本来の力、無意識のエネルギーが働き出します


「今」という現象にエネルギーを与えると、

「思考」という厄介者が遠ざかり「今」という優等生達が集まり出すのです


要はです。徹底して自分の生きているようすを見つめることが「今ここ」という真理への道だったりするのです。


なにも、考えず押して下さい。

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