だってその世界こそが、現実は「在るけど無い、無いけど在る」つまり「空」
「言葉にできない」世界なのですからね。』昨日のブログです

この「言葉にならない」ものを頑張って言葉にします

昨日の続きですが、、、
何も石ころの中に宇宙が実際に観えるということではないですよ、ありえない

食べ物で言うと
ここにピーマンがあります
普段このピーマンを見て何を感じますか?
多分何も考えないでしょう
考えたとしても
「うまそうだな」とか「これは新鮮だ」程度かも知れません

凄く大まかに言えば
このピーマンは太陽、水、土などなどがなければできないですね

これも以前書きましたが、水は水蒸気が雲となり雲が雨となり山や森の土に染み込み川となり飲み水となります。ひとつでも欠ければ綺麗な水にはならないです

その水を与えてピーマンが出来る、言い方を変えれば、ピーマンの一部はその水でもあります
太陽は説明もいらないです、一番大事です
勿論酸素や風、温度、、、それを育てる人
ハウス栽培ならハウスを建てた人、作った人。
土には微生物などか含まれで栄養となり云々で、初めてピーマンという野菜になります
その上これを作った農家の人、それを売るのに関わるスーパーの人々、地方へ運んだトラックの運転手、そのトラックを作ったメーカー、、、言い出したらキリがないほどそのピーマンひとつに関わります。

ピーマンひとつが宇宙の営みというもの、そしてそれはパズルであり、ピーマンがその中のピースです

もっと詳しいですか、、例えばそれが一瞬で覚者には観える(理解できる)という感じです

つまり、現実のピーマンも見えますが、ピーマンひとつにその宇宙全体も感じることができると言うことです。

その上その感性に人間の脳が反応して、そのピーマンが「輝いて」観えるのです、だって宇宙は輝いていますし、そもそもは全てが「光」ですからね

全てがそのピーマンに繋がり、ピーマンは全てに繋がる
これが「一即一切」で在るのです

これは、ピーマンだけではありませんね。宇宙の全ての物質、そして人間も何ひとつ欠けても「私」は成り立たないのです

友人と喧嘩しました。腹が立つので厳しい言葉を放ちました、、、
これもそうですね
誰かがいるから私が登場しています
喧嘩する場所がなければなりません。日本語も必要です、その日本語は誰に教わりましたか?その友人と、いつどのように出会いましたか?今イライラしていませんでしたか?
、、、、突き詰めれば、全ての要素が繋がったから友人と喧嘩になり、それに登場した「私」が腹を立てているとなります。

極端に言えば、もしも宇宙空間で一人ポツンと浮いているとすればどうでしょう、「私」など存在しません

この宇宙の現象を釈迦は「縁起」と表現しました。

「縁」が存在して初めて「私」が「起きる」のです。
その時々の状況で私は変化し、怒り、悲しみ、喜び、嫉妬し、、、、と

本質のしての私はどこにも存在しないということ、縁というパズルの中で友人と喧嘩するというピースを演じているだけなのです

それには本来なんの意味もないのです。
喧嘩そのものが観念ですから
だから、喧嘩ひとつ楽しめばいいのではないですかね。

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