自我意識」とは
「個人としての私が在るという意識」、、超簡単に言えばそうなります。
もし個人が存在しないとなれば、家族も社会も存在しないとなります。
想像すらできない世界ですね
例えば「愛する」こと
それも幻影となります
人としては無条件に拒否するものです
外側に展開する世界の中で異性が現れ共に生活して子供を作り一生を過ごす
こう言う人生を歩む人は多いと思います
そうでなく、例えば「私は孤独です、家族もばらばらで、愛されてもいないし、信頼できる友人もいない、、、」と悩む人がいたとします。
その「孤独」すら、そのような環境がそこに在るだけで「孤独」ではない、つまり、そのようなものはないのです
「孤独はいやだ、孤独になりたくない、、、」
なりません。ないのですから不可能です
不可能を可能だと勘違いして、人は孤独になりたくないから、友人や愛する人を探すのです
私(自我)の本質は個であるために、そこに孤独、貧乏、病気、争いなどが在ると錯覚させます。
それを避けるために努力するのですが、それ自体全てが無いのです。
全ての仏教で言う煩悩はないものなので避ける以前の問題です
本来なら「煩悩などありません」ですが、それだと普通の人は理解できないので、「煩悩を無くしましょう」となったのです
だから「もっと、こうなってほしい」という私(煩悩)が存在しないのですから、そうなるはずがありません
「もっと、こうなるといいなあ」と思っただけでそうなりませんよね?
そこには小さな努力や大きな努力や苦難や我慢がもれなく付いてきます。
良い学校に入るために何かを犠牲にして死ぬほど勉強するのです
幸せを求むとは、苦しみも求む、
その求む本質は「私」ですから、叶うはずありませんし、もし叶っても一時的ですから、また違う幸せを「自我」は望みます
自我意識とは、それそのものが「苦(我)」なのです
つまり、苦しむ私、ではなく私そのものが「苦」の原因ですので
「こうあってほしい」をなくせば「私」そのものが消えます
究極は私の幸せを求めるのではなく、「私の幸せを求めなくても良い状態を創り出すことです」
人は常に、何かを求めています、ひょっとすると、何かを求めるのがなくなるまで、求め続けているのかも知れません
全てはエネルギーなのですから、エネルギーは供給が無くなれば消滅します
もし真に何も求めない意識が生じた時、必ず内側から違う感覚の意識が生まれます
普遍意識という本来の意識は、自我意識という蓋があるために表に出れないだけです
私達がすることは、その蓋を取り除くことではないでしょうかね
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