根源の生命(真我、普遍意識)から分離された自我(私)が生まれます

物質も人も空間も時間もない世界では「わたし」を認識することはできません
全ての人々が体験している地球と名付けられた物質的エネルギー世界を創り出し、根源の生命はその自我のわたしを「意識の中に」投影します

何もない世界なら「わたし」という存在を認識できなかった私は、親や家族、友人や学校や建物や自然を通して、「わたし」という存在がいるのだという誤解が始まり、私(個人)の体験が始まります

それはその本来の「わたし」ではない私は思考という仮の私、つまりパーソナリティとして生活していきます、自我意識です

思考は記憶が全てとなります、思考は全て過去からやって来ます、そしてまたどこからともなくやって来ます
『存在するのは「今ここ」だけです』

例えば
「30分かけて私は学校へ着きました」
この30分は記憶であって今この瞬間には存在しません、事実は「今ここにいる」だけです。時間はただの記憶から成り立ちます、思考が創り出すトリックです
そしてその「今」は思考では捉えられません
手の甲を見て反対の手のひらを見ます。手のひらを見た今は甲はありません、甲があった、それは過去です

今はひらだけどさっきは甲だったという今とさっきという記憶(思考)が時間を繋ぎ合わせ時間という幻影を創り出します

思考はあなたではありません、、、

時間は確かに存在します
人が生まれ育ちます、身体の機能も進化します、毎日ご飯を食べ、歳をとり、、、と

肝心なのはそれにくっついてくる『思考』です
何かを見てその映像が映し出されるのは「今」だけです。その瞬間が現れては消え消えては現れる、どこまで行っても確かに在るのは「今」しかない、、、つまり思考が関わるのは過去で、関わることができないのが「今」です

目の前の風景はそこにただ在るだけで、思考が遠くの山とか綺麗な花、赤い車とかを創り出します
それが「観念」です
観念とは観る念です、遠くの山まで行けるその強力な観念が遠くの山まで歩くことを可能にします、

本来人は空間に浮かぶことも可能です、それは「できない」という観念を外せばです、実際インドのヨガの達人はそれをやってのけます

思考は空間も創り出します、、

思考が関われないのは「ここ」だけです

思考はあなたではありません

なぜ私達はこの転生を修行の場というのか?

魂の成長をするためだと言われます

ではゴールはなになのか?
魂の成長とは?

それは私達は「無」で在る
ということを思い出すことです

ここで「無」を「何も無い」という認識は違うということを理解しなければいけません

「無」とは「0」のことです、「何もない」ではありません。
「0」が生まれたから「1、2、3、、、」が生じることに着目すべきです

つまり「無」を認識するとは「何もない」ではなく「全てが在る」を認識することです

例えば「99」は「0」が在るから生まれてるのです

全てが数字ならすべてが「0」から生じる

「無」即ち「全てが在る」
色即是空の意味となるのです

わたしは誰?という何もない意識から「わたし」と外の世界という「無」と「有」を創り出したうえで、わたしを認識させることが魂の成長のゴールとなるのです


その意識の中には現象としての苦は存在するのですが、意識の感情としては、「不老不死」の状態となります


よろしくお願いします


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