私達の日常に「私」は一切関わっていないことに気づいてください

今スマホを見て、何かを考えているのも
そのスマホを操作する指も私抜きで起きています

例えば「喉が渇いた」と感じました、喉が渇くのはあなたの意思ではないですね
その現象を感じて「喉が渇いたなあ」という思考は勝手にどこからかやってきますね、喉が渇いてるのに、腹が減ったという思考は現れないですね
「下に降りてコーラを飲もう」勝手に自然にそうなりますね
その途端「よし、立ちあがろう!」と思わなくても、立ち上がって部屋のドアを右手でノブを回して開けて、廊下の電気をつけて、廊下を歩き、階段を降りて、リビングのドアを開けて、犬の頭を撫ぜて冷蔵庫からコーラを取り、、、、
そう
これ全てが自動でやってますね、あなたは一切関わっていません

そこをよく観察してみてください
そこに「私」が関わっているのかどうかです
「私」とは思考が創り出した観念ですよ、そうして子供の時からずっとやってきましたよ
言っときますが私は身体ではないですよ、

今この拙い私のブログを読んでいますが、「私が」読んでるなど考えていませんね、「読んでる」という思考もないかも知れません

そこが大きな気づきです
私などいないという事実はなにも大袈裟な理解ではありません
よーく考えてください

私ってどこにいますか?

日常私が、を気にしていますか?
私などいなくても音は聞こえます、風景や人の行動も勝手に飛び込んできます
物を食べると私など関係なしに美味しいという感覚が現れます

で、何か問題が起こった時だけ、「私が」とか「私の」とかが現れます
「私が」決断をする、それを間違えば「私の」責任ですとか「私の」一言が余計だったと反省したり
「私は」幸せになりたい、なぜなら「私は」不幸がいやだから、、、
その「私」はいつもどこにいるのですか?

そして、人はその「私は」に苦難の根源があるのです

スピリチュアルでは、それを無や空になるとか個人や自我意識が消滅して悟るとかという言葉で言うから、なにか遠い遠い特別な存在になるように錯覚するのです

実にシンプルな事実です
それを確かめてみてください、現実を確かめて下さい、勝手に現象が見え、聞こえ、勝手に思考が現れ、勝手に感情が現れて勝手に行動している事実をです。その確かめるという行為がなければただの知識で終わります

そして私などいないなら
「私はなにもしていない」という真理にも気づくはずです。
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