「私の下手な言葉にお付き合いありがとうございます」
『世界は自分自身が創り出している』
最近よく聞くメッセージです。
言葉とはいい加減なものでね、これを聞いて
「なら、私の人生もよくすることが出来る」と思考が錯覚させるのです
良いも悪いもないのですよ、ただそこに現象として現れた、それだけです
良いとか悪いとか、それは思考が創り出したものです。本来のあなたが創り出したものではありません
あなたが創り出した世界ではなく、「あなたと一体」の世界というニュアンスです
色んな現象が「現れては消え、現れては消え」それに思考(頭)が意味を付けているだけです
例えば
頑張ってる、サボってる、必死になる、楽しんでいる、喜んでいる、泣いている、悲しんでいる
今思いつくだけでも沢山あります
悲しい、切ない、嬉しい、腹立たしい、楽しい、愛しい、いっぱいあります
これは現象にそういう意味をつけているだけです
皆同じ行動というやつです
そう聞けば
「そんなふうに捉えたら人生意味がないし、悲しみはともかく喜びもない、生きている意味がないのでは?」というふうに捉える人が大半ですね、当然ですよね
それは、喜びだけほしいからそう捉えられないという側面もありますね
全てに思考が邪魔をしてるのです
本質で在るあなたの周りは完全なる沈黙が広がります、と完全なる平安、溢れる喜びです
以前書きましたが
その喜びを識ると、現象世界の喜びなどガラクタに見えます
それも、何かがあっての喜びや平安ではありません、ただただ喜びが溢れ出すのです
今そこに在る現状、事実を確かめて生活してみてください、人はあまりにも今をおろそかにしています
見渡すと完璧な世界が広がっているではないですか?
あなたはその世界に守られているのです
本当に単純なことです。
身体は思い通りに動きます。
ずっと呼吸ができています。
水からお湯になりお風呂に浸かれます
自然は綺麗で、街は完全な機能を果たしています。
友人といると楽しく、いつも頼もしい家族もいます
例えば「身体は思い通りに動く」
速くも遅くも歩けます。走ることもできます。
走っていて危ないと思えば一瞬で止まれます
階段を器用に登れます、、、
バカみたいに単純な真理を見落としていませんかね
昨日スマホを見ながら階段を降りていて、最後の一段があるのに、ないと錯覚しました。
右足は歩く歩幅なので気づいた時は中途半端に出ていました
このまま降りれば右足で身体を支える羽目になるので、咄嗟に受身をしてわざとひっくり返り衝撃を和らげました、、、こんなことも普通に出来る身体の機能に涙が出てきました(笑)
当たり前の日常、現れては消える現象にもっと意識を向けることですね
それが少しでも浸透してきたら、自分は完璧な世界に守られていることがわかります、すると、何故か幸福感や喜びが心の中から出てるのがなんとなくでも感じるはずです、存在しない過去や未来や今いない人に意識が向かず、「今ここ」に意識を向けているのですから
スピリチュアルは実践が全てです
私もそうでしたが、知識は知恵になるだけです
やってみて「ああなるほど、こんな感じになるのかあ」なんとなくでも、これが実践です
実践として掴んだものは知恵ではなく智慧となり、それが自らの叡智となるのです
人は無限の叡智を持っているのです。
「今ここ」に集中してみてください。完璧な世界が展開していますから、、、
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