『風が怒るのを観ましたが?
風が唄うのを聴きましたか?
風が通り過ぎたのを観ましたか?
風が話すのを聴きましたか?
風が踊るのを観ましたか?
風の足跡を聴きましたかぁー』
河島英五
自我意識とは
私と外側が「分離」されていると錯覚されている意識ですね
感覚としてそんなの普通に当たり前ですね
ちょっと視点を変えて観ます
これはあくまで意識状態での視点です。
私の横に愛犬が寝転がっています。
こいつは、犬で、四歳で、オスで、大型犬で、気が弱く、おとなしく、、、と私の記憶の中にこいつの刻印がされています
その時点では、まさしくこいつと私は分離されています。
もし、こいつが何者かわからなかったとしましょう
けったいな生き物で、尻尾をパタパタと床にたたいて寝っ転がってるただの生き物です。
そーと触ったりしても危害はなさそうです、匂いはまあ少しします、、、
まあ危害を加えることもないから無視していたとします
さて、あくまで空想ですが、こいつと私の間に分離はあるでしょうか?
ないとは言えませんが、こいつのことを識っている意識状態の時よりは完全な分離は薄らぐでしょう
こいつと私がただここにいるだけです
例えばその状態を何日も続けたとします
いつのまにかこいつは私、私はこいつという意識に変化しているかもしれません
よく私は街で猫と遭遇します
私は猫が大好きなので、なぜなぜしたいと言う衝動に駆られます
私の中にはこいつは猫で、猫というのは飼い猫もいれば野良猫もいる、こいつは首輪をつけていないからひょっとして野良猫かも?
野良猫なら凶暴な奴もいるから、そーと近づかなければ引っかかれる恐れもある、でも艶もあるしどこかで飼われてる猫かな?雄かな?雌かな?、、、
と今までの知識を辿りその猫に近づくでしょう
猫の立場ならどうでしょうか?
多分危険かどうかだけですよね、これは本能ですから
、、、、
その時ねこの意識状態と私の意識状態では分離という視点では、かなりの違いがあるとは思いませんかね?
猫と名付けられた生き物を猫という意味で理解しないとします
でもその生き物は存在しています。
私はその生き物の形や仕草や触り心地を感じるでしょう、でもそれについてなにも判断をしないとします
そうなれば
その生き物は「ただそこにいる」だけです
という感覚で世の中を観察しても面白いですよ
木や花の表情が観えるかもしれません
木に男、女が観えるかも知れません
花が微笑んでるかも知れません
雲が怒ってる、気持ちいいと感じている、泣いていると観えるかも知れませんね
風が笑った、怒った、泣いたと感じるかも知れません
海の波が怒ってる、楽しんでいると観えるかも知れません
人はその現象、つまり木なら木という知識や概念、人なら好き嫌い、自分にとって損や得、容姿や服装や立場などという過去の記憶や知識で観る現象世界を追いかけている限りその背後にある真理は観えないのです
外の物質全てに生命は宿るという意識を添えて
それを丹念に行えば、世界の中に私がいる、、、
ではなく私の中に世界があるという感覚になれるかも知れないですね
実際私の中に世界が存在しているのですから、、、
真理は隠されている何かではありません
今ここに在る、四六時中あなたの目の前に展開しているのですね
それを実感するには意識を変えるしか方法はないのですね、それは実践のみが全てとは思いませんかね
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