以前私は真我を顕現するために一生懸命いろんな行法を行っていました(今もですが)

ある日、どうしようもない虚脱感が襲ってきて
「やっぱり私は駄目な人間だ」と叫びたくなりました

半分ヤケクソでめんどくさくなり
「私は神だ」と全てをすっ飛ばして思いこむようにしました。
今となっては理由がそれかどうかも疑問です

「私は神だ」と聞けば
そんなこたあないでしょ、とかそんなはずないと思うのが当然なのですが、思い込めるのにかなり時間がかかりますが意識がかなり変化します。
まずもって、否定的な想念や言葉を吐けなくなりますw

元々神とは真我意識つまり普遍意識であり、その意識は全ての人間の潜在意識に備わっています。人は全ての背後は神なのです

神社には必ず鏡があります
これは「か、が、み」の我を取りなさい、そうすれば「かみ」となりますという意味です

『心身の神癒』より
「あなた達は私よりも、もっと大きな御業を成すであろう」

イエス

まず、自分を悲観しないこと
思考(自我意識)は肯定より否定を強く打ち出すのです、実際私は自分の良いところなど浮かばないです、悪いところしか浮かびませんでした

私はまだまだ未熟なのでもっと学ばなきゃいけないとか、私のここがいけないのだとか否定するのではなく、受け入れてそれを温かく見守ればいいのです

否定的な要素に意識を向ければそのエネルギーは増幅され、ますます強くなります
温かく愛で受け入れてやればいいのだと思います

イエスの愛、釈迦の慈悲とは、愛情の愛ではないと思います、愛情の愛は地上での二元論、観念です

わたしは愛とは赦(ゆる)すことだと確信しています

目の前の人(自分も)の悪いところが観えれば、それを否定せず、肯定もせず、それはその背後にある源が全て「愛」の未熟な表現なのです

多分覚者となれば、その両方がはっきりと実感として観えるのだと、そして、心からそれを赦せるのだと確信しています。

かのアインシュタインが亡くなる間近に娘を枕元に呼び、こう言ったそうです

「これは絶対誰にも言えないことでお前だけにしか言えないんだけどね、この世界で一番大きなエネルギーは愛なんだよ」と

本当ならスゴイお話ではありませんかね