『当たり前に過ぎゆく毎日に

恐れるものなど何もなかった

ほんとうはこれで、ほんとはこのままで

何もかも素晴らしいのに』


エレファントカシマシの『風に吹かれて』


です


本人はどう表現しようとしているのかの真意は分かりませんが、真理を凝縮させた詩です


この「恐れ」とはなんなのでしょうかね

恐れと強烈な表現をしていますが、これは日常における否定的な感情、不安や怒り、嫉妬、憎しみ、悲しみなどのことを恐れと表現していると思います


こんなものはなにもなかったのだと悟った瞬間、「今ここ」の何もかもが素晴らしいと気づいたようです


これは道徳的にも十分捉えられますがスピリチュアル的にはとても的を得た表現だと思います


この世界は二元論です

平安が在るから不安が在る、安心があるから心配がある

この不安や心配は光によって創り出される影のようなものです


インドのタオ(道)という本の作者の聖者はこの世界を幻影(マーヤ)と表現しました、読んで字の如く影は幻ですけど影として実在します


昔私は、それらは全て無いと理解しようとしていましたが、そうではありませんでした。


二元論、すべてが「在る」と気付きました


人は不安が訪れたら、それを排除しようとします

排除しようとそれと戦いその不安というエネルギーを強化させ、ますます不安という実態の無い観念を増幅させます

本来は喜びも恐れも、不安も心配も、ただそこに在るだけです


そう感じた時に出てきた答えは、それを受け入れられるかどうかと思いました、ただそこに在る

念のためですが安心も喜びも同じです。ただそこに在る


それらには実態はありません、観念として人それぞれの容量は変わりますが心の中にただ在るだけです


観念や概念とは

外の世界にある様々な現象や人の感情や心象を人間が「理解するための手段」ではないですかね

だから広辞苑にも載ってますw

つまり、それがどんなにリアルであっても心の中で造られた映像で、実在するものではないのです


「幸せの大きさなど測れないもの、不幸の深さは闇の奥へと続く」という吉田拓郎の詩の一節があるように


二元論には確かな境界線などないのですね

人により捉え方が変わるということです


魂の進化には段階があります

ある日突然悟ることはありません

宗教家ではないけど、音楽家スポーツ、探検家、画家など、それを生業としている人には真理に近づいているような人が沢山いると思います