まず最初にイエスの言葉からです
キリスト教というのは完全な一神教です
イエスひとりを神に祭り上げている宗教です
そのように至ったイエスのひとつの言葉があります。

「ヨハネによる福音書」より

「もしあなたたちが私を識っていたなら、私の父(天の父なる神)をも識ったであろう」

これを表面だけ解釈すれば、なにか個人としてのイエスが神と特別な関係であるかのようになります。

しかし彼はこの前に
「私は道であり、真理であり、命である」と言っています

これはどういうことかと言えば、イエスが「私」という時は個人としてのイエスと、潜在意識の中の真我、つまり普遍意識、唯一の実在する生命を「私」と表現する時があります、この「道」「真理」「命」は神と同意語ではないでしょうか

これを後の解釈で解いてみると
「人がそれぞれその中に内在する普遍意識の自覚に至ってイエスの実相であるである生命を識ることが出来た時、それは天の父なる神を識ることと同じである」となります

別の言い方をすれば、全ての人がその共通の生命を観ることができる普遍意識においては、あらゆる存在が天なる父と一体であり、イエスとなんら違いはないということではないでしょうか

結論から言えば
イエスと迷った人との違いは、イエスは自分が神で在るということを自覚できており、迷ってる人は自分が神で在るということを識らないだけということです

キリスト教は他の宗教を認めないのは、そのイエスの
「何者も私に因らずして父の御許へ行くことはできない」という言葉です

「私」を個として表現しているのか、全てのひとを含めたただひとつの生命という「私」で表現しているのかの違いです。私はあなたであり宇宙そのものです

「十方無限世界即ち我の身体成り」
釈迦が悟りを開いた時同じことを言っています
十方とは東、西、南、北、南東、北西、北東、南西の八方に前と後ろを足したものです

つまり無限世界イコール「神」それは私の身体そのものだと言っています。。。。