その神社は私の生まれ育った町にあった神社だった

子供の時よく遊んだ結構大きな神社のベンチに何故か私はひとり座っていた、突然目の前に老人が現れた、どこかで昔会ったことのあるような人だが思い出せない



見事な笑顔を私に向け、突然老人は言った

「お前のその胸ポケットにあるそれはなんじゃ?」

私「これ?ボールペンです」

え?知らないのか?

老人

「そうだな、じゃあ聞くが、それがボールペンだと何故言えるのだ?」

「いや、どう見てもボールペンです、文字を書くやつだと認識しています」

老人

「じゃあ、その認識はいつお前の中に生まれたんじゃ?」

「いつ?それはわかりませんが多分結構昔、子供の頃です」

老人

「そうだな昔、つまり「過去」じゃな

じゃあ聞こう、もしも隣に発展途上国の人がいて、これを見たこともなかったら、ただの棒じゃな?これがボールペンだとは認識できないな」

「はい」

老人

「で、当然過去の記憶も引き戻しはできないな?」

「はい、過去に教えられたことがないので当然です」

老人

「これが般若心経の「色即是空」の根本的なわかりやすい真意だ、わかるか?」

「すいません、全くわかりません」

このどこにでもいるおっちゃんは何者なんだ?

ただ私は半年前から般若心経を何故か唱え始めているから興味が湧いた

でも、戸惑いと少しの怒りがあるけど、その屈託のない笑顔に妙に引き込まれた

老人

「形あるもの全て空であり、空即ち形のないものと言う意味じゃ、空は無とも取れる

これは、ボールペン自体無いという意味でなく、これはボールペンだという認識のみが形というものを創り出しているというのはどうじゃ?」

「、、、つまり、目の前の物質そのものには意味(形)は無いけど、これは文字を書くボールペンだという意味が、形として成り立たせているということですか?」

老人

「そうじゃ、極端な例じゃがな

例えばもし奥さんと家に二人でいたとしよう、奥さんは「寒い」と言い、お前は「いや、暑い」と意見が分かれたとしよう、この、暑い、寒い、が色即是空の「色」じゃ、で、部屋の温度が18度じゃ、この18度か色即是空の「空」になる、わかるか?

部屋の温度の18度というのには意味が無く、それに暑い、寒いという意味「色」をつけるのが現象され具現化してる世界じゃ

私「なるほど」

老人「それがお前の目の前で毎日毎日展開されておる。

色即是空の世界じゃ、飛躍して言えば、世界という幻じゃ」

「世界という幻、、、、


では毎日毎日色んなことが起こる日常になんら意味はないとすれば、想像もできないけどなんか人生寂しくないですか?」

老人「そう思うのは人間として当然じゃな

意味がなければ生きている価値がないとか、、、

喜怒哀楽がないのではないかとか

それが長い人生で培った「観念」じゃな

楽しいことをしたり、見たりするから楽しく、嫌なことが起こるから悲しい、辛いじゃ

それは人は無意識にどっぷりと現象世界に浸かっていて

人間が経験する、怒りや嫉妬、妬み、争い、喜び、という形のないものに形を創り出しているということじゃ


例えばお前が息子の行動に対してある事で怒りを覚えたとしよう。よくあることじゃな

それは息子でも娘でも家族でも友人でも会社でも社会でも同じじゃ


息子の行動は現象として目に見えてるわな、言動も耳に聞こえてるわな?これが「空」じゃな

それはただの現象で、それに意味づけされたお前の心の中に像を創り出し、それを形(現象化)しているんじゃ、色付けしてるのじゃ」


息子の行動はダメだという判断は結局なにを根拠に私はしたのだろうか?怒るべきなのか静観するのか

結局それはなにが正しいのかの判断はできない

怒ると良い方向へ行くのか?静観すると良くなるのか?

もし最終的に怒ったとすれば、それは私が「そうしたいから」なのではないだろうか

でもだ、ただそれに対して何もしなければそれはそれでいけないのではないか、、、

般若心経ってすごい事言ってるのか、、とも思った途端

目覚まし時計が鳴って

私は目を覚ました、、、、