身体を何か一大事が起こった時に、そこそこ上手く動くことで何とか逃げ切れたと思った経験が何度かあります。


若い時に朝の通勤ラッシュでバイクを走らせていた時に、車に当て逃げされたことがあった。当時のバイクは確か大破して、衝突した瞬間に反射的に身体を丸めたことがよかったのか、一瞬息が出来なかったがすぐに回復しました。


牧場で働いていた時に、わらの裁断機に軍手をつけた右手を持っていかれそうになったが、途端に引き抜いて軍手だけがボロボロになったことで助かりました。


色々忘れてしまったこともあるが特段これまでにとんでもない後遺症が残ることにはあわずに済んでいます。それもこれも根が臆病でこういう事をしているとこうなる可能性があるという取り越し苦労の先読みをしていたおかげです。


冒険をしようというような話し方をする人が大勢いますが、それよりも大事なのは危機回避が常にできるか、被害を最小限に抑えられるかという特性を磨くことではないでしょうか。偉そうに僕が言えたことでもないのですが、後生大事にそろそろ周りを伺いながら生きてきたから大怪我がなかったのだと思う。ただしそれで人生上手くいっていると言えるかどうかはわかりません。


全ての物や与えられた時間は限定されている。人生何十年代とか言われるが、僕の外に出て仕事をする年数もいいとこ後20年でしょう。


身の回りの事あらゆる機会にもっと力を尽くしておけば、より素晴らしい人生が待っていたのだろうか。我が身を振り返って落ち着いて考えることもしないので、今日一日をどうするかということで頭の中のほとんどは占められています。


それは内心今をしのぐことを続けることしか残り少ない時間を埋める手立てがないことで、何か焦っているのかなとも、すこし考える。絶えずごそごそ物事を片付けて、疲れたら眠る。起きたらまた動き出すというサイクルを繰り返すことで、自分への「責任」は果たせたかなと、我が身に今日もよくやったよと、言い聞かせます。



僕がまとめて事を片付けるというのは、それが効率がいいというより、普段腰を上げないので自分自身がそれによって停滞した何かに困らせられる時に動くといった具合です。


この間も乾燥機の掃除をしたのだが、これの水分の吸い取りが悪いと室内が大袈裟に書くと蒸し蒸しすることになる。この時期湿度は上がりがちなので、掃除といっても裏のフィルターを水で洗い流すだけなのだが、これだけで効率は断然変わるものです。


外へ出ていく仕事なども、例えてみると一つのタスクは息を止めて一気にこなすという具合で、そういうモチベーションでいるものだから、短距離走を何度も繰り返すという表現がぴったりくるかもしれません。


であるからその逆のじっくり取り組むといったことは、一日のうちに数分、10分くらいでささっと片付けてそれを毎日続けるといったルーティンならやれるのですが、何時間も没頭するのは頭もついていかないし、身体的にもやる気は起こりません。