私服と制服という区分けには色々振り回されてきた。中高生の時は全て制服だったので、僕の場合身なりには気を使わないほうだから、私服はそれは酷いものでありました。笑われる話だが、一昨年までの秋冬は親父が若い時に着ていた穴の空いたセーターをジョギングのときに使っていたほどです。


今の仕事も制服はあるにはあるのだが曖昧なもので、結構私服も混ぜて使っている。世の中のほとんどの人はこの外出用の衣服にはかなり気を遣っているらしい。僕は変な風に思われないならいいだろうと、無頓着なものです。ただホームレスの方とは思われないように、匂いはしないように気は使っています。


統制される世の中は嫌ですが、昔の中国の人民服みたく同じものをずっと身にまとっていても不思議でない生活が来ないかとふと考えます。