携帯でコピペを覚えた時は、これは感動ものでした。いちいちパソコンや他の携帯で見たものを字をなぞって入力することもない。誰かと他の言語で話をするときに、今のネットの簡易な翻訳では不十分であるが、意思の疎通くらいはなんとかなるので、英語であれなんであれコピペすると、それこそどこの国の人とでもコミュニケーションできるのです。


便利で時間を短縮できるやり方であるが、その反面例えば文章を考えることなど、ある文節で気の利いた言葉を当てはめる能力が果たして備わっていくのかというと、それは別に読書をするとか、自分よりボキャブラリー能力が上の人の話でも聞いたりしないと向上は難しいような気もします。


それこそ言葉を作る能力が秀でている人でも、時々ある言葉の羅列をコピペして問題になっていることもある。盗作のようなものです。かといって一から十まで自分独自の言葉の構築のみで他の人によりよくわかっていただけるかというとそれは僕のようなぼんくらには難しいものです。


コピーというのは100%の真似であるから、そこの部分を少しでも削って自分のものという言葉にしたい。誰かの借り物の服を着ていたとしても、自分にあったものにするには言葉に意思が込められないと相手にどのように伝わったのかも全くわからなくなります。自分の内面にぴったりくる言葉をいつも伝えたいが、そこまで気が利かないことが多いということです。