松山城の城山が夏のキノコを観察するのに最も良い季節になったので出かけましたが、先日の崖崩れで立ち入り禁止になっていました。松山城は松山市の重要な観光スポットで、立ち入り禁止となっては松山市の魅力は半減です。仕方なく、映画鑑賞をすることにしました。



映画館ではジャン=ポール・ベルモント傑作選が行われており、今日の上映作品は「ライオンと呼ばれた男」でした。


映画の原題は「Itineraries D’un Enfant Gate」で日本語に訳すと「幸運な子供の旅路」でしょうか?1988年の作品でした。

映画は遊園地に佇む子供の場面から始まります。子供は捨て子ですが、サーカス団に拾われてサム・リオンと名付けられました。サムはサーカス団の演技に参加するようになり、13才で人気の軽業師になりました。しかし、16才の時に空中ブランコの演技中に落下して大怪我をし、演技から引退することになりました。しかし、サーカスの呼び込みとして有名となり、呼び込みの大会て優勝し、大会の司会の女性と最初の結婚しました。さらにサーカスの移動の際の清掃に着目し、その効率化と機械化を行いました。その経験から清掃会社を立ち上げました。清掃会社は機械化による効率的な清掃法の開発を推し進め、従業員12000人を有し、高学歴な人も入ってくる会社に成長させました。ある日、若い社員が上司と対立して解雇され、アフリカの旅に出てしまいました。

サムには後継の長男と娘ができていました。サムは娘を溺愛し、娘もサムを愛していました。功成り名遂げたサムはヨットで多くの時間を過ごすようになり、大西洋横断に挑戦しました。しかし、挑戦の最中消息を断ち、無人の救命ボートも発見されてサムの死亡が発表されました。しかし、これはサムが存在を消すための演技でした。サムはドイツのハンブルクに現れて身分証を偽造し、タヒチ行きの航空券を入手しました。タヒチでは自由を満喫しました。その後、最初の妻と訪れたシンガポールに行き、昔の思い出に浸りました。次にアフリカに行きましたが、そこで元社員と巡り会いました。サムは元社員の青年が気に入りますが、自分の会社が経営不振になっていることも知りました。青年とともにフランスに戻り、青年を会社に臨時採用されるようにアドバイスし、会社のテコ入れを始めました。サムの助言を受けることで青年は人間的に成長し、発言力も増すようになりました。青年はサムの娘の注目も集めるようになり、恋仲になりました。でも娘は青年にアドバイスする老人がサムであることに気づきました。その後、サム、青年と娘の間で一悶着ありましたが、最終的に青年と娘さんは結婚し、孫も生まれました。サムの会社は業績を回復したため、再びアフリカに行き、ライオンの調査に明け暮れる日々を送るようになりました。


サムが栄誉を投げ捨ててヨットとともに姿を消す時の心境が十分理解出来なかったので、機会があったらじっくりと鑑賞したいと思います。