大街道の映画館でエンニオ・モリコーネ特選上映をしていたので行ってきました。エンリオ・モリコーネのゆったりしたイタリアの田舎を思わせる映画音楽が好きです。



今回(5月29日)見た映画は「死刑台のメロディ」です。「死刑台のメロディ」は奇妙な題名ですが、イタリアの原題は「サッコとバンゼッティ」です。


1971年の映画です


歴史の詳しい人なら「サッコとバンゼッティ」の題名を聞けば、アメリカ史の恥部の一つとされるサッコ・バンゼッティ事件を扱って映画であると分かると思いますが、そうでない人にはわからないでしょうから「死刑台のメロディ」の題名にしたのは仕方がないことでしょう。

私がサッコ・バンゼッティ事件を知ったのは40年くらい前、NHK教育の歴史セミナーで捏造事件の特集を見た時でした。この特集では大逆事件とサッコ・バンゼッティ事件が取り上げられていました。この中で、当時米国滞在中だった評論家の石垣綾子さんがサッコとバンゼッティの死刑執行への抗議運動に参加した思い出を語っておられました。その後、サッコ・バンゼッティ事件を取り扱った岩波新書黄版「フレームアップ」に入手しました(フレームアップはでっち上げのこと)。事件は1920年代、社会主義運動と労働争議の高まりに恐怖を抱いた政府が裁判所、検察と警察を使い、生贄になる過激派の人物を探して逮捕し、処刑したことにより起こりました。サッコとバンゼッティは立場の弱いイタリア移民で社会主義者(サッコ)もしくは無政府主義者(バンゼッティ)だったようで、生贄するのに丁度良い人物でした。

映画は警察による労働運動の取り締まりの場面から始まります。1919〜1920年にかけて現金輸送車の強盗があり、死者も出てしました。それらの事件の犯人として事件に使われた拳銃と同型の銃を所持していたサッコとバンゼッティが逮捕されました。尋問の後、起訴されて裁判にかけられることになりますが、当初、弁護士は証拠の不完全さから無罪を確信していました。しかし、裁判が始まるとサッコとバンゼッティに不利な証言をする証人が次々と現れ、被告に不利な情勢になっていきました。弁護士は流れを変えようとして何度も異議を申し立てますが、裁判官から異議が悉く却下されました。陪審員の評決は有罪となり、判決は死刑となってしまいました。弁護士は直ちに上告し、被告に不利な証言をした証人の身辺調査をしましたが、警察に証言の変更を強制された者、減刑の約束をされて出鱈目な証言をした者がいることが分かりました。この証拠を裁判所に提出しましたが、裁判所からは弁護士の証人に対する脅迫を問題視され、主任弁護士は解任、上告も却下となりました。留置所に収監されていたサッコは精神に変調をきたし、精神病院に入れられました。

このころからサッコとバンゼッティの助命運動が高まり、残された弁護士へは真犯人の情報が寄らるようになります。弁護士は真犯人の情報を集めようと努力しますが、真犯人の情報ファイルや拳銃は警察により廃棄され、証拠集めは上手くいかなくなりました。助命運動の高まりにより州知事が仲裁をせざるを得ない状態になりましたが、結局、州知事は仲裁を拒否。1927年、二人は電気椅子で処刑されてしまいました。


救いのない暗い映画ですが、無罪を信じて働く弁護士達が数少ない救いです。


死刑執行の50年後のマサチューセッツ州知事は差別と偏見による誤認逮捕と冤罪を認め、二人の無罪を宣言しました。