写真紛失のため、今回もネットの写真を使わせていただきます。

2000年夏に日本人の大学院生とカンザスシティでカンザスシティロイヤルズとレッドソックスの試合を観戦した際、大学院生からカンザスシティにあるニグロリーグ野球博物館を見学したいとの提案がありました。ニグロリーグとは1920年から1948年に存在したアフリカ系アメリカ人の野球リーグです。

ニグロはラテン語の「黒い」です。

ニグロリーグの選手達

ニグロリーグは紆余曲折を経て1920年にプロ野球となっていましたが、試合をする環境は厳しかったようです。試合をさせてもらえるスタジアムは少なく、1日3試合も組まれることが普通で、試合後もシャワーが使えず、汗と泥にまみれてバス移動していたらしいです。

しかし、ニグロリーグの実力が認めてられ、ジャキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャース(ロスアンゼルス・ドジャースの前身)に入団して活躍するようになると状況が変わります。ニグロリーグの中心選手は次々とメジャーリーグに引き抜かれ、弱体化したニグロリーグは消滅しますが、メジャーリーグでのアフリカ系アメリカ人選手の地位が確立します。ベーブ・ルースの本塁打記録714本を抜いたハンク・アーロンもニグロリーグの出身です。


ニグロリーグ野球博物館

博物館に行った日は日曜日でしたが、入場者はポツポツいる程度でした。


伝説の投手サチェル・ペイジ

博物館の中心には野球のマウンドがあり、それぞれのポジションには伝説の選手が配されていました。ピッチャーは伝説の投手サチェル・ペイジでした。サチェル・ペイジは2500試合に登板し、2000勝をあげ、完封勝利350試合、ノーヒットノーラン55試合という信じられない記録を残しています(正規の記録はなく、中南米リーグとの交流戦も含まれていたようです)。当時のメジャーの豪速球投手ボブ・フェラーが「サチェルの投げる球がファストボールなら、俺の球はチェンジアップだ」と言った話があります。加えて制球力も抜群で、サチェルは試合前にホームベースに置いた木の板に速球で釘を打ち付けるエキジビジョンをしており、5球以内で釘を打ちつけたと言われています。残念ながら、メジャーデビューは全盛期を過ぎた42歳となりましたが、5年の在籍で28勝31敗の記録を残しています。

この博物館に来るまではニグロリーグのことはあまり知りませんでしたが、この博物館の展示を見ることで専門家になった気がしました。