松山市の映画館シネマルナティックで若尾文子映画際が行われており、映画「からっ風野郎」(昭和35年)が上映されていたので見てきました。「からっ風野郎」の主演は作家の三島由紀夫ですが、若尾文子は重要な役を演じていました。
映画「からっ風野郎」のポスター
三島由紀夫は昭和45年に陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決したため、右翼思想に凝り固まった変な人物と思っていましたが、猪瀬直樹の伝記を読んで考えを改めました。三島由紀夫は生真面目な人物で、父の期待に応えて勉学に励み、志望の文学部ではなく東大法学部に進学し、大蔵省に入省しました。しかし、小説で原稿料が入るようになると大蔵省を退職し、父の呪縛から逃れることができました。するとそれまでの鬱憤を晴らすように、まず青瓢箪と呼ばれたガリガリの体を改造するためにボディビルや剣道に取り組み、俳優にも挑戦しました。昭和40年代に入ると左翼活動、特に学生運動の高まりにより日本文化が破壊されることを危惧して民兵隊の盾の会を組織しましたが、最終的には自決することになりました。三島は右翼思想に凝り固まった人物ではなく、特に作家になってからは自分探しを生真面目に行い、大好きな日本文化を守ろうとして、それに殉じた人物のように思えました。
ところで映画「からっ風野郎」について
三島作品の映画化がきっかけで、大映社長の永田雅一の意向で三島主演の映画制作が決まりました。共演する女優は、三島が少しぽっちゃりした女性が好きだったらしく、若尾文子に決まりました。三島は映画では自分からは遠い人物、知的でないヤクザを演ずることを望み、日活でお蔵入りになっていた脚本「からっ風野郎」が使われることになりました。「からっ風野郎」は石原裕次郎の主演が想定されていましたが、主役が最後に殺されることになっていたため忌避され、却下となっていました。この台本に三島が手を入れて完成しました。
朝比奈武夫(三島)と舎弟の愛川
朝比奈武夫は弱小暴力団朝比奈組の2代目で舎弟の愛川とは親友でした。朝比奈は対立する暴力団相良商事の社長の暗殺に失敗しで刑務所に服役していました。刑務所を出所するときに相良商事の殺し屋が指し向けられましたが、辛くも難を逃れました。
朝比奈と愛人となる小泉芳江(若尾文子)
朝比奈組の表の商売は映画館で、売店では小泉芳江がバイトしていました。朝比奈は紆余曲折を経て小泉と恋仲となり、小泉は妊娠しました。小泉は出産を望み、朝比奈の堕胎の要求を拒否しました。小泉には労働組合の闘士で警察に逮捕されたこともある兄がいました。
朝比奈は再び相良商事の殺し屋に狙われたため、たまたま見かけた相良商事の社長の娘を誘拐し、相良商事が隠し持つ某製薬会社の抗がん剤のサンプルを要求しました。抗がん剤には問題があり、相良商事は某製薬会社を恐喝するつもりでした。この誘拐は大物の某暴力団組長の計らいで解決しました。
相良商事はその復讐のため、小泉の兄を誘拐し、舎弟の愛川が経営するトルコ風呂(懐かしい言葉)の権利を要求しました。愛川は悩みましたが、大阪にいる 愛人の所へ行ってカタギになる決心をして権利を放棄しました。その際、愛川は朝比奈にも大阪でカタギになるように勧め、朝比奈は小泉の妊娠している子のことを思い、カタギになる決心をしました。
映画のクライマックス
国鉄の駅で相良商事と交渉し、話は纏まりました。朝比奈は赤ちゃん用の衣類を買いにデパートに行った時、殺し屋に背後から撃たれ、エスカレーターの所で亡くなりました。このシーンの撮影で三島はエスカレーターの角に頭を打ちつけて失神し、病院に担ぎこまれたとのこと。
三島は文士劇に出演したくらいの経験しかなく、映画の主演は荷が重かったみたいです。見ていて大根役者と言われて仕方がない演技となっており、公開時の評判は芳しくありませんでした。監督の増村保造は三島の東大法学部時代の同期であったためか、シゴキに近い演技指導が行われ、三島は文句を言わずに従ったそうです。三島の演技は大根ですが、周りの俳優のサポートで映画としては成り立っており、映画はそれなりにヒットしたそうです。三島ははこのシゴカレ体験を生かし、後に出演する「人斬り」や「憂国」の演技に役立っています。



