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延々と続く長城を見上げ彼は立ち尽くしていた。
(誰がこんなことを…)
そこには死屍累々の惨状であった。
どうやら死体の装備から見ると漢民族ではないようだ。
「あの凶暴な匈奴か…」
ある者は眉間に矢を射られ、ある者は血達磨と化している。
既に息絶えてはいるものの、まだその血は流れていた。
まさか。そんなはずがあるまい。
付近に人の気配はない、はずである。
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以上のような書き出しで高順が呂布と出会うお膳立てをする、などなど。
高順は正式な資料に記述が殆どないので、どこ生まれとかもわかっていない感じです。
三国志演義では呂布の兗州(えんしゅう)攻略時点で登場する。
この時点で194年で、下邳で198年に呂布とともに梟首された。
この4年間のみの記述しかないのでこのままだと書きようがありません。
しかし、呂布には絶対的な信頼を寄せている風に書いてあり、
陳宮が出てくるまでは呂布の軍師的な役割をも担っていたのではないだろうか。
※ここから、若いころからずっと呂布につき従ったと考えることもできる。
※呂布自体は、若いころからの偉丈夫で、飛将と呼ばれるほどになるので、その武勇に惚れ込んだ設定にすればいいのかなと。
また、陳宮との仲が悪いということが書かれていたが、どうも根拠に乏しい。
呂布が妻に高順と陳宮の仲が悪いから城の防衛を任せたくないと言われた、ということを以て根拠としている感がある。
あの時代に、呂布が正妻(=厳氏)に言われて困ることがあったのだろうか。
とうの昔に妻の伯父、丁原を殺したというのに。
※貂蝉自体は存在していたかどうかがわからないので、居れば夢があるのですが。
※呂布が妻に~と言われたの節では、もしかしたら高順か陳宮が現在は分が悪いと思い出兵させないようにしたという事もあるかもしれません。
さらに、陥陣営(確実に陣を陥落させる)と正史(晋から見た歴史)に記述されているのが大きいと思います。
相手であった高順を高く評価している正史、
基本的にその国から見ているので実像は分かりにくくなります。
しかも敵方に居るのに高評価…なかなかの素晴らしい将であった事がうかがえます。
「高順の人となりは清廉潔白で威厳があり、寡黙で、一切酒を飲まず、また贈り物を受け取らなかった。」
まさに当時の大丈夫(男)の見本だったのでしょう。
参考文献
・三国志演義 吉川英治著
・三国志人物事典 渡辺精一著
・呂布 加野厚志著
・高順-Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%A0%86
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