話を傾聴すべき人 | 井蛙之見(せいあのけん)

井蛙之見(せいあのけん)

毎日、いい音楽を聴いて、好きな本を読み、ロードバイクで戯び
楽しく話し、酒色に耽り(!)、妄想を語り、ぐっすり眠る。
素晴らしきかな人生!
井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

人間とはよくできたもので、思わぬところで本音がでる。

私も何度かこういう言葉を聞いた。

「〇〇(たぶん自分が所属する会社か組織)では、そんな意見は通じない」

ただし、根拠はあるのだが理由までは明かさない。

大体想像はつくのだが、そういった組織は個人が一部署内を奔放に牛耳ったりしている組織か

誰も責任を取らないので意思決定が鈍い組織と大抵相場は決まっている。

「聞く耳を持たない」か「事なかれ主義」か。

もっとも、そういう輩の忠誠心とアイデンティティなど、その硬直した組織への帰属が

裏付けなので、悪口は言っていても離れられない。実に哀れなものである。

(時代劇で主人公に簡単に屋敷内に入られるバ〇な家臣みたいなもの)

こういう手合いの思考回路なり考え方などただの奴隷意識の表明に過ぎないが

変な選民意識だけは根付いていてはなはだ鼻持ちならず厄介ではある。

こういったスタンスでしか物が見れない、意見が言えない人物は実にそのリアクションが

明確で正直こちらとしては笑いをかみ殺すのに苦慮する。

 

例えば一つ事例を挙げてみる。

こういう人は「面白い本があって勧めて渡しても絶対に見ない」し、興味も示さない。

自分よりも下だと思う人間の薦めるものには意地でも興味を示さない。

私なら、誰であれ世の中にはどこに面白いものが潜んでいるのかわからないので

喜んで手に取り、どこがおもしろかったか訊いてみるくらいのことはするだろう。

(私は居れば自分の子供位の年齢の若い人たちに「面白そうな漫画」のことを訊くが

大抵は当たりで自分では絶対に行きつけないので実にありがたく思っている。)

しかし、こういう選民意識バリバリのバ〇は絶対にそういったことをしない。

それゆえにこういう連中の思考回路や行動は手に取るようにわかる。

「組織や世間体を盲信しその中でしか生きてこれなかった人」と、

「周りを観察し価値など決めず人と人との付き合いのみで生きてきた人」との違いだろう。

(私は組織の「首枷せ」などない後者なので楽しく観察させてもらっている。)


さて、それではどういった人の言葉が傾聴すべきかと考察してみる。

私は、エキスパートというべき職人(マイスター)と子供の意見を最も参考にする。

その理由としては職人は向き合う対象が仕事・作品に対してのみであり、

組織のどうでもいい威光や意向など全く関係がない。

ひたすら周りの声を無視して無私の精神で物事に取り組んで高精度な仕上がりに

経験律が積み重なり独自性を発揮する。

誰でもわかることも大事だが、残念ながら、一流と超一流(達人)とを分ける言葉は

聞いてもすぐに理解できないうえに体得・再現性は難しいだろう。

それでも愚直に繰り返すことでその境地に辿り着く可能性もある。

そのためのこうした言葉は道しるべだ。ただし、正解は一つとは限らない。

これとは他に子供の言葉も重要だ。ときどき、「ハッ」とさせられることがある。

先ほどの連中の言葉とは違い、つまらない帰属意識はなく、世俗にもまみれない

正直で純粋な言葉は「気づき」を与えてくれることがある。

次に、市井の人の何気ない言葉にも意表を突かれるものがある。

若い人の言動もこれに同じで、観察し分析することは愉しい。

もっとも自分の発想にない人の言葉は年齢や立場に関係なく尊いものだ。

狭い世界の常識などいつでも覆すことができるし、覆ってきたではないか。

これは実に大切なことだと思うのだが。