それであなたは今、何ができるんですか? | 井蛙之見(せいあのけん)

井蛙之見(せいあのけん)

毎日、いい音楽を聴いて、好きな本を読み、ロードバイクで戯び
楽しく話し、酒色に耽り(!)、妄想を語り、ぐっすり眠る。
素晴らしきかな人生!
井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

「薬屋のひとりごと」という科学や薬などの知識を使い名探偵コ〇ン並みの推理で

難事件を解決に導く作品がある。しかも伏線がたっぷりで面白い。

私の場合は小説は読まないので専らアニメか漫画の話となる。

この主人公が当時としては珍しく読み書きができ、科学や薬学(毒)の知識が豊富ながら

文官の試験に落ちてしまう、というエピソードがある。

興味のあることには貪欲だがそれ以外については全く勉強しないという

主人公の性格があらわにされている。

私もこれと同じで、興味がないことはやらない。

ただし、食指が動けばいつまでもやってる。

今も昔も「風の吹くまま、気ままに動く」というスタンスは変わらない。

 

私はもともと「人と同じことができない」ので仕方なく「自己流の独学」となる。

最近は動画で学べたり、検索出来たり、専門書もたやすく手に入るのでありがたい。

職人の世界では「親方に授けられるべからず」(棟梁:西岡常一さん)というものが

あるらしい。また、日産のテストドライバーの加藤博義さんもこう言う。

「教えちゃうと、教わろうという『クセ』がついちゃうから」と技術を習得する

側の受け身になってしまう弊害について語る。

人と違う存在になるためには自らテーマを決め学び続ける姿勢こそ大事なのだ

と自覚しないとそこで完結してしまう。学びにゴールなどない。

もっとも私のような人間は稀なのだろうけれど、教わってもその通りにはやれないし、

やらない習慣が身に染みているので「自分で考えてやる」以外に方法がなかった。

職人さんの声を聞くと、あながちこのやり方も間違いではなかったようだ。

 

大抵の会社では講習や研修などに金と時間を使う。

これは最低限鋳型にハメ込み、「同じスキル」の習得を目指したもの。

(会社としては公的な資格がないと「その仕事に携われない」ものがあるので

これは会社としては投資に等しいが誰しも選ばれるわけではないのでこれは一部。)

もっとも「その会社のみに利用可能なスキル」習得のみに終始しそれ以上は

勉強をやめてしまう場合が大半を占めるのではないか、という気がする。

悲しいかな、そのあたりの習得で、自分のプライドや自身の価値を決定している人が

あり、それゆえか、帰属している組織の権威で相手を値踏みする。

こういう人間は接していると、嫌になるくらい帰属している組織の大小や肩書でのみ

判断し上から目線でくるものだから始末に負えない。

大した根拠もないのだがそれ以上は「自ら考えない習慣が自然」なので、

残念ながら心地よいその立場に身をゆだねることになる。

もっとも上っ面の知識だけなぞっているのでとても浅く、その後の工夫もないので

ただただ「鼻持ちならない」だけの小物が出来上がる。

それでもわがままを通した部署などがなんとかなったものだから自分の功績などと

大いなる勘違いをかます。救いようがない。

会社は社員がバカでも潰れないが社長がバカだとつぶれる。そういうものなのだ。

だから小物ほどいつまでもかつて帰属していた組織の名刺・肩書が有効だと信じ込んでいる。

ところがどっこい、会社名や肩書のない組織を離れた奴の相手など誰もしない。

再就職の際、もっとも嫌われるのが前職で帰属していた組織と肩書を持ち出す輩。

帰属していたからこそ相手は組織なり肩書なりに価値を見出していただけであって、

個人には何の価値もないことが理解できない。

こうした人間に「現在の」価値などまったくないのだが・・・不憫である。

能力の高い人間ほど逆に驚くほど低姿勢でいつまでも学びの姿勢を崩さず組織や肩書

などになんのこだわりもない。組織や肩書ではなく、その人自身に価値がある。

なぜかそれがわからない。実に不思議なことである。

 

世の中で成功を収めるには、馬鹿のように見せかけ、利口に行動することである。

(モンテスキュー)