立川談志師匠と中田敦彦さん | 井蛙之見(せいあのけん)

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井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

最近、中田敦彦さんという元芸人のユーチューバーさんの発言が物議をかもしている。

この人によると、ダウンタウンの松本人志さんは色んなお笑い番組や賞(コンクール)の

審査員をやりすぎなので、もうそろそろ辞退していただきたい、というのが主旨らしい。

曰く、松本人志さんに認められなければ若手が世に出れない、ということらしい。

この件について、松本人志さんは「じかに話をしよう」と呼び掛けているが

中田さんは動画サイトで一方的に意見を述べるだけで応答はしていないようだ。

 

ひろゆきさんなどは「新しく自分で賞を創設すればいいじゃないか」という意見を述べられた。

正論である。Y本興行に逆らうと干される、と思っているからだろうか。

この人自身は動画サイトで信者さんに「テキトーな解説」などで飯が食えるのだから

余計なことなどしなければいいのにとも思うが、炎上商法なのか?

ただ「ちょっと頭がいいだけ」ではもう動画サイトも手詰まりなのだが理解している

のだろうか?

 

それはさておき、落語界に目を向けると落語協会から脱退して独自に協会を立ち上げ

活躍の場を「自分で作った人たち」はいくらでもいる。

落語協会を脱退して自分の協会を作った六代目三遊亭圓生師匠とか四代目立川談志師匠

などがそうだ。落語協会を脱退すれば寄席には出れなくなる。

寄席に出なくてもホール落語という別の方法で活躍する噺家さんも多くいた。

しかし、そんなことを差し置いても「真打制度への不満」を表明し、

やり方が気に入らないのならば自分で作る、など当たり前のことだ。

安全地帯にいてモノを言ってヒーロー気取りなのか、誰がテメェの与太話など聞くか。

人が賛同しついてくるかは実力で、その試みが当たるかどうかなど運しだいだ。

 

なんでもそうだが特に興行は自分ひとりの力ではどうにもならないし、

多くの人に支えられて成り立つものだ。

そもそも、松本人志さんひとりでどうなるものでもない。

実際、パトロンなり席亭のご厚意で実力以上に引き上げてもらうこともある。

どうも学校秀才のいけないところは、成功は自分ひとりの力と勘違いしがちなことだ。

そして、この人とかこの人を支持している層というのは大抵「勉強はできるが他人を馬鹿にし

そして、なによりも可愛げがない」という特徴を感じる。

 

立川談志師匠とか上岡龍太郎師匠はやりたい放題しているようにみせて「偽悪ぶる」姿を

他人に見せたが多くの気遣いとなによりも「可愛げ」があった。

芸人さんはどこか「可愛げがない」と人を惹き付けることはない。

動画サイトで「飯が食えるだけ」の稼ぎが今はあるだろうが「この人ならでは」という

個性もなく替わりがいくらでもいるようなユーチューバーなど死んだら世間から

忘れられるのも速いだろうし、「浅い知識の要約芸」などなによりもたいした価値がない。

ぜ〇じろうとかラサールなんとかとかサヨク系のメディアで辛うじて

ときどき名前をみる人たちも今は一方的にいきがって「他人が作ったプラットホーム」

で吠えて威勢がいいが、残念ながら賞味期限切れなので行く末も憐れなものだろう。

所詮は「余白を埋める使い捨て」に過ぎないし、このひとたちもまた同じ特徴として

全く「可愛げがない」ので「ああ、そんなのもいたな」ならまだマシな方だ。

多くの人に今も愛される「お笑いBIG3」とか松本人志さんなどと、

こういった「可愛げのない」どうでもいいようなタレントとは格や価値が違う。

「安っぽい知識」や「ちょっとばかりお勉強ができました」しか自慢できることがなく

他人を馬鹿にすることしかできない人たちは他人を惹き付ける魅力や個性に欠ける。

自分の想像するより他人に認められない状況でなんでも他人のせいにしたいのも

わからないではないが余りにもそれではみじめだ。

こういう「自称 お利口さん」たちは他人を下げることで得られる安っぽい優越感に酔う

自分の醜悪な姿に気づくべきではないか。

ある意味「勉強ができること=秀才、えらい!」などという才能なしでも誰でも

できそうなことで(馬鹿な)国民をだましてきた日本の教育のやり方にも限界があるのだが。