お前はもう死んでいる~どの業界にもいる憐れな人たち~ | 井蛙之見(せいあのけん)

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毎日、いい音楽を聴いて、好きな本を読み、ロードバイクで戯び
楽しく話し、酒色に耽り(!)、妄想を語り、ぐっすり眠る。
素晴らしきかな人生!
井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

こういう商売をしていると、必ず何人かは来ます。

元同業者という人たち。

ウチは居酒屋ですから、飲食の関係者。

へりくだる態度ながらという場合もあれば、

終始「上から目線」で言う奴もいる。

 

経営していた人たちは、その素性を隠しながらあれこれ言ってくる場合がほとんど。

現在、経営者の人はさすがに料理にあれこれや店の体裁がどうのこうのとはいわない。

いろんな意味で残念なのは、長年、飲食業に携わっていたが、今は、離れている人。

 

うちにもいる。

料理を注文して「これ見よがし」に残したり、他店のやり方をどうこういう奴。

残すことで「俺の舌には合わない」「不味い」「俺の方が上」というマウントアピール。

いるでしょ、キャリアの浅いものが賄いを作ったのに一瞥して外へ食べに行く奴。

さらに他人の店で「こうでなければいけない」「こうするべきだ」「こうしたらいい」と

あれこれ持論を展開する。受け入れられなければ、ボロカスに言うお目出度い人たち。

当然、出入り禁止も多くなる。

当たり前の話だ。

 

こういう人たちは共通点がある。

自分の料理の腕や舌に格別の自信があること。

自分の経験だけ言うこと。(俺はこうしてきた云々の自意識過剰の自己紹介・評価)

そして、自分がやれば売り上げが倍増すると本気で思っていること。

 

確かに、出入り禁止になるわな…と思う。

私は、料理の修行もしていないし、専門学校に行ったわけでもない。

親の店があり、これを改装し、自由にメニューを作り、好きなスタイルで営業している。

多くの料理関係者、専門学校を出たものなら「自分の店を持つ」ことは目標だろう。

店の規模など関係なく自分の城を持つことは夢の入り口だ。

これをおそらく何の苦労もせず、努力もせずやっているように彼らの目には映るのだろう。

 

自分ならもっとできるのに。

 

そういえば、こういう人たちにはほかにも共通点がある。

すべてが過去形の昔話が多いこと。自分の方が優れているのにという謎の自信。

「自分はこうやって云々」「自分はこうやってきたから」「自分はどこそこで働いていたから」

それはいつの話ですか?

 

実に残念な人たちだが「現役でない」ことが、最も致命的であることを理解していない。

道場六三郎さんは90歳を越えた今も現役である。

多くの市井の食堂とか飲食店の経営者はどれだけ年をとっても

健康であれば、死ぬまで現役だ。本当に頭が下がる。

そういう気概がなく、使われるだけの存在で、しかも、その業界から

離れているものがよく言えたものだ、というのが正直なところ。

 

どの業界でもそうだろうが飲食業界も例にもれず

「かつて自分はこれだけいろんなものを(食べ)経験してきた」などという

昔話でやっていけるほどやさしい世界ではない。

それらは指標のひとつではあるが、その程度では通用しない。

私も自分より年下の若い人の技法ややり方は大いに勉強になる。

今や、料理技法が一つ公開されたら、世界に情報が巡る。

秘伝と言われたものは簡単にコピーされる。

冷凍食品、総菜、コンビニ商材、はては、世界から何でも調達できる世の中。

常に自分を取り巻く環境は変わっているのだ。昔話ではない。

そういう世界で日々戦っているのだ。

老舗だから安泰、などという思いは、老舗ほど持ってはいない。

過去の成功体験などいつまでも引きずることなく、絶えず、挑戦を繰り返す。

何で日本は新商品をこれでもか、と出し続けるのか?

新商品ばかり追いかけるのでその開発費とかなんやらで日本の企業が儲からない、といった

馬鹿がいたが、世の中、そんな単純には出来てはいない。

日本は昔からそうなのだ、そういった土壌なのだ。

同じようなことを繰り返しているようでも、常に、もっとうまくできないか、より良い方法はないか、

そして、変わり続けなければならないという使命感を持つし、そうでないと続かない。

だから、しんどいし、辛いし、面白い。

 

個人のつまらない経験則、しかも、きけば大抵カスのような昔話で

自分ほど「よく知っているものはいない」と思ってあれこれ自慢げに言ってる姿を見ると

正直、怒りよりも憐れみや可笑しみを感じるようになった。

これはどの業界でも同じだろう。

私が、こういった連中を出入り禁止にとりあえずしない理由は

「同じカテゴリー」と思われたくないからだ。

なので、常に余裕を持って対処する。

 

テレビの情報番組しかみてないのに世の中の動きがわかったつもりでいる人がいる。

情報弱者も極みで、嘘のような話だが世間には本当にこんな人がいるのだ。

自分が知っていることは、世界の常識、誰もが知っていて当たり前。

「こんなことも知らないの」と根拠のないマウントをとる不思議な人が

アナタの周りにいるのではないか。バカの相手は心底疲れるでしょ。

視野狭窄もそうなのだが物事の判断のための知識なり、ロジックなりにはたとえそれが

自分と合わないものであっても納得できるものであればよい。

残念ながら、阿呆はそういう考え方や知恵はない。実に憐れで、滑稽だ。

「俺が、俺が」の行きつく果て、つくづく「自分基準」のこわさを知る。

しかしながら、内心、自分もああいう風にはなってはいないか、と常に自戒する。

 

死んだ女よりもっとかわいそうなのは忘れられた女です。(マリ・ローランサン)

 

たまたま飲食業界の亡霊の話をしたが、こんな人はどの業界にもいるだろう。

もうその業界からとっくに忘れ去られている「用事の済んだ人たち」にはご遠慮願いたい。

少なくともこの業界は死ぬまで終わりはない。「これでいい」ということもない。

でもこんな逝ける屍がどの世界においてもいるものだ。

くだらない昔話の語り部はどこまで恥さらしな生き方を続けるのだろう。