業の花びら 宮澤 賢治 | 不思議大好き☆358☆

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不思議大好き☆358☆のブログのpartⅡ
新たな気持ちでスタート。
音楽とアート、雑貨、不思議で心ひかれる世界を言葉で表現、描けたら良いな、と想います。


この文章は4月末から書いていて、

書き始めた時は単に

テレビの番組の感想を書くつもりで

あったのが、


ブログにあげようと思うたびに、


いろいろな事が起こり、

アップのタイミングが難しく、

躊躇していた。


芸能界に例をとれば、


あの人が罪をおかし、


あの人が自ら命をたち、


長い間、君臨していた闇、

芸能界とマスコミと我々を


隔てていた知り得ない闇が

明るみに出て、


沈黙させられ、圧力をうけ、

傷つく人が大勢いた事実を知り、


様々なことが、隠されて、

燻り続けていた場所に


いま、ようやく光がさし始めている。


(そう考えると、テート美術館展のテーマ「LIGHT」という言葉は、いまを象徴しているのか?)


もしも思い立ったという

偶然が

この時期に

書かないといけないという


いまここにシンクロニシティとして、


必然的あるいは課題として、

目の前にあるなら


この偶然はわたしという

一個人だけではない気がする。


言葉の轍にはまりつつ

思考は廻り、迷いながらも、


書いてみようと思う。







『業の花びら』




それは4月の初め、何気なく見た

BS NHKのアーカイブ放送の番組


宮澤 賢治とその父による、

二人きりの旅


その旅の後に

賢治は病に倒れ、若くして亡くなる。


賢治は日々の出来事を

日記に書いていたが、


最後の父子の旅だけは、

なぜか書いていない。


ひっそりと封印されたかのごとく

書かれていない。


そしてなぜNHKが賢治の内側に

存在したであろう、葛藤を

このタイミングで描こうとしたのか、

明確な動機はわからない。


これは、あくまで推測でしかないが

何らの違和感があって、

この番組が

作られたかもしれない。


番組は再放送なので、もしかしたら

最初に放映された日は、

世界人権デーであったかもしれない。


番組では賢治の没後

功績を讃える碑が造られることになり、


父は、その碑に刻まれる

言葉について意見を求められた。


当然のごとく人々は

『雨ニモマケズ』という詩だと思った。


しかし、賢治の父は意外にも

『業の花びら』を推した。


前者が「光」とすれば

後者は「闇」のように感じる詩であり、


前者が明るく前向きで

理想をめざし、諭している詩であるが、


後者は暗く言葉の意味が

碑に刻まれるメッセージとして、

万民には伝わりにくい。


二つの詩は天秤にかけられ、


結局、

アメニモマケズ……と刻まれる。



そして長い間の疑問だった、

未完の書『銀河鉄道の夜』について


虫食いのような「空白」や

所々「削除」した部分があることの


意味の深きところをまさに、

サソリが最後に入った井戸から

星空を覗いたように

はっと、気づかされた。


むろん、この作品の持つ道徳観、

夢幻の内に広がる宇宙感、世界観は


空白のあるなし、は関係なく、

普遍であること、は間違いない。



ただ、この物語には

作者本人の意向によって、

消されてしまった言葉が存在し


なぜあのように素晴らしい作品が、

未完成で遺されたのか、という疑問に


業の花びらという

ある意味の答えを

この番組は呈示してくれ


今まで抱いていた疑問に、

わたしなりに着地点がみつかった。


番組では賢治の日記をもとに、


父と子の確執がうまれた理由と

最期の二人旅にスポットをあてていた。


宗教、宗派に関する

考えの違いから、改宗と

後に伝えられてはいるが、


なぜ、賢治は改宗しなければ

ならなかったのかを


深く掘り下げられなかった。

(もしかして、配慮があったのか?)


日記に記されなかった 

父と子の旅 その最後の夜に


子は父に自分の「性」を語る。


それは発見された日記の短い断片から

推察される、性の不一致。


賢治の 儚い 友人への想い。


賢治の子孫への取材により、

朧げではあるが、

彼らに伝えられていることや、


父親との関係の変化の前後を

丁寧に聞き取り、推察し、


空白の旅を「翻訳」してゆくと、


賢治が友人に抱いていた

友情以上の何かが


それは儚く叶うはずもない

恋慕であることが、わかってくる。


賢治の生きた時代

同性への恋は、ある意味


自身のみならず、家族を辛く

厳しい状況に立たせてしまう、と

賢治は考えたに違いない。


賢治は父を尊敬していた。


檀家総代であり、誠実な父に

宗派が認めていないことを


認めてほしい、と伝え


許しを請うことの苦悩


その苦悩を

あらわす言葉としての、



「業」は


あまりに悲しい。


だから心の内に闇を抱えたまま、

賢治は『銀河鉄道の夜』を

未完のまま、この世を去った。


しかしながら、

わたしはこの番組をみて、

宮澤 賢治について

今まで気になっていたことの


点と点が繋がり

まるで銀河に続く一本の


鉄道のレールの如く線となった。


『銀河鉄道の夜』の空白は、

無作為ではなく作為であり、


むしろ未来に向けて、未完とし

わたしたちに置かれた

標識であるように思えてきた。


更に言えば、宮澤 賢治の作品に

随所にみられる優しいまなざし


地上に存在する全て

鉱物などを含み


特に儚きもの、弱きものに

注がれる優しさは、


天から注がれる

一筋の光の梯子のごとく


その光は賢治の心のある片隅を

光が届かない場所、一隅を


賢治の生きた時代には

「照らす」ことはなかったが、


それまでのマジョリティ優位の

時代が人々に影をおとし

歪めてしまった世界を


マイノリティに光をあて多様性に

満ちた世界に変わろうとしている、 


そのように、わたしは感じる。

変わるよう、わたしは祈る。


長文おつきあい頂き感謝します。

それでは、楽しい夢を〜ふとん1ふとん2ふとん3

(最後に賢治の詩をのせておきます)



『業の花びら』


 夜の湿気と風がさびしくいりまじり

 松ややなぎの林はくろく

 そらには暗い業の花びらがいっぱいで

 わたくしは神々の名を録したことから

 はげしく寒くふるえてゐる

 

宮澤 賢治