私はかつて、栗山民也さん演出、富田靖子さんと松下洸平さんの二人芝居『母と暮らせば』を観て号泣しました。戦争という大きな悲劇を描きながらも、被爆した一人の息子と母の人生を徹底的に見つめる、その静かな積み重ねの先で戦争の悲劇への祈りに導かれました。戦争の悲劇を語る名作として忘れられない舞台でした。


私は『大地の子』の原作とドラマ版に今も心酔しています。だから舞台版は絶対に観ないと決めていたのですが偶然チケットが降りてきて、さらに演出が栗山民也さんだと分かり、迷いながらも足を運びました。開演前に明治座の五階のパネル展で、山崎豊子さんのお写真と取材メモを見て、感慨深くて一人大泣きしてしまいました。


✳ここから激しくネタばれします。





物語は中国残留孤児の主人公(井上芳雄さん)が小日本鬼子と差別される中、中国人養父(山西惇さん)の命懸けの慈愛に助けられ生き延びる。長じても日本人故の数々の差別を受け、看護士の女性(上白石萌歌さん)に命を救われ、通訳として携わった日中合弁事業で日側所長(益岡徹さん)と運命の出会いがあり、そして…。

マキノノゾミさん脚本の幕開けは主人公の生き別れた妹(奈緒さん)がMCとして群衆の中から現れ、自身の苦難、満蒙開拓団、兄との別れ、文化大革命や日中事業等、実質3時間の舞台の触りを語っていく。そして主人公の学生時代に戻り、妹の話になり、合弁事業の建築現場へと冒頭30分でも次々時間が前後して驚きました。


私は原作やドラマ版が描いたのは主人公・陸一心という一人の人間の骨太の人生だと思っています。戦争で家族と引き裂かれ、異国で育ち、日中の狭間で翻弄されながらも力強く生き抜く。特にドラマ版で私はその歳月を時系列で視聴者として共に歩んだからこそ、最後の「私は大地の子です」という言葉に涙が止まらずでした。


そこには国家を超えた帰属の覚悟や決意がありました。私はその人生の総決算の選択に涙して、その延長線上で戦争の悲劇に祈りを捧げました。しかし今回の舞台版は異なる重心を持っていました。物語は時系列を解体され、多くの登場人物が自身の悲劇を語っていく。陸一心の人生は一本の太い線でなく断片化された印象でした。


終幕は出演者全員が舞台に現れ「今、大地の子はどこでどうしているのでしょう」と疑問が提示されて幕が下りました。音楽もドラマ版の主題曲のような前向きな響きと違って混沌と不安を孕んだBGMでした。前向きな気持ちになった読後感や視聴感とは正反対の暗くて重苦しい今回の観劇後感に私は気持ちが沈みました。


この舞台は陸一心の人生を描く事よりも、戦争が続く現実への警鐘を優先している感じでした。悲劇のエピソードをパッチワークのように繋ぎ、観客に問いかける構造でした。その志は理解できますし、今という時代に上演する意義を強く意識した誠実な試みでした。美点も多いものの、私の期待とは大きく異なる舞台でした。


私は陸一心の人生に徹底的に寄り添い、純粋に泣きたかったです。彼と共に苦しみ、彼の到達点に立ち、その上で戦争の悲劇に思いを馳せたかったです。劇場へ行って重いものを投げかけられたかったわけでなく、勿論、それを否定するつもりもなくて、「母と暮らせば」を再見したいと思っているぐらいですが、今回は「大地の子」を見て、生きる元気を貰いたかったです。


今回の舞台を罵倒するつもりはなく、志の高さも理解しています。けれども、私が求めていた『大地の子』とは明確に異なる作品でした。この舞台は『大地の子』の再現ではなく、『大地の子』をモチーフにした今も戦争が続いている事への警告劇だと思いました。これなら別に「大地の子」でなくてもいいのにと思いました。


舞台装置は盆や舞台奥の壁面の利用があったものの全体的には簡易的な物で、物語の大きな見せ場の関所で養父が命懸けで陸一心を守る場面や「私は大地の子です」の見せ方も私には肩透かしでした。彼の人生の見せ場を二の次に捉えている作劇の証左で実に残念でした。


台詞劇の趣きだったので話術に長けた実父役の益岡徹さん、養父役の山西惇さん、実父の上司役の石田圭祐さん、満蒙開拓団幹部役の櫻井章喜さん、妹の夫役の木津誠之さんに引き込まれました。限定的な作劇の中で、精一杯、原作やドラマの感動に引き付けて頂いた益岡さんと山西さんの迫真の芝居に泣かされました。


妹役の奈緒さんが凄絶で圧巻でした。陸一心の妻となる看護士役の上白石萌歌さんの作品の清涼剤となる清々しさも素敵でした。他にも演技派も多かったです。陸一心役の井上芳雄さんは力演でしたが中国残留孤児に見えずでした。東宝は彼に偏り過ぎと思いました。


それでも、観た事に後悔はありません。むしろ、自分がなぜ『大地の子』にこれほど心を寄せているのかを改めて確認する時間になりました。仕事で旧満州の大連へ頻繁に行き、日中合弁の工場建設を担当していたので劇中の契約交渉や貿易条件の件には共感でした。


私はあの「私は大地の子です」は、ここに至るまでの気持ちを時系列で積み重ねた上で聞いて、もっと感動で咽び泣きたかったです。