1958年(昭和33年)4月1日、宝塚月組の公演中に香月弘美さんが亡くなられました。今から65年前の舞台上での事故です。

伝え聞いたところでは事故の翌日から公演は続行。事故は無かった事にされたのか、当時の歌劇誌を調べてみました。 

歌劇1958年(昭和33年)5月号によると劇団葬が行われ、その模様が掲載されておりました。写真と共に沢山の方々の弔文も掲載。添付の通りです。

劇団葬は事故から10日後の4月11日。「純白に飾られた音楽学校三階の講堂」で、読経に続いて「梅田理事長、阪急和田社長、天津乙女、沖ゆき子さん達」が弔辞を捧げ、「同期生達が香月さんの愛誦歌」を歌われたと掲載されています。

弔文は沢山の演出家、組長、同期生、中山寺の住職らから寄稿。高声低声にも沢山のファンの方々の投稿。それぞれの香月さんとの思い出、劇団からは真摯な弔意が綴られています。

公演は続行され、翌月から同じ作品が花組で続演されています。これは真摯に御両親へお許しを乞い、劇団葬、歌劇誌での追悼ページが世論の反発も最小化したのではと思いました。

↑和田薫氏(阪急社長)、梅田健一氏(歌劇団理事長)
↑白井鐵造氏(作家)、高木史郎氏(作家)、内海重典氏(作家)
↑沖ゆき子氏(月組組長)、打吹美沙氏(花組組長)、登代春枝氏(月組)
↑日夏有里氏(月組同期)、杉四季子氏(月組同期)、石堂恵俊氏(中山寺権大僧正)

↑舞台年鑑=現在のステージアルバム