「ムーランルージュ」千秋楽おめでとうございます。この作品の魅力は語り尽くせないのですが、贅沢な美術や楽曲の力が印象的な中、私は日本の観客に響く日本人向きの作品に仕上げた出演者とスタッフの方々のお力が大きいと思っています。


この作品をNYで見た時、正直なところ、この作品のショーアップされたところに観客が熱狂していて、物語は軽くて歌やダンスの添え物に近いような存在で、話の筋に感動を求めがちな日本の観客には物語が物足りないのではとも思いました。


ところが日本版を見ての驚きはNY版よりも物語が劇的で、悲劇に思いっきり泣けた事でした。プレビューを評した原作者で映画版監督のバスラーマン氏の「海外の公演も含めて世界で一番感動した」の言葉が忖度ではないのだと思ったのでした。


あくまで私見ですが、日米の観客の反応で大きく違うのは二幕に集中していて、サティーンが瀕死の状態で舞台に上がろうとした時にジドラーに「私の葬式で下品な歌を歌ってね」と返したところと、公爵に「私は誰の物でもない」と答えたところ。


NYではどちらもヒューヒューという口笛や歓声があがったのですが、日本ではどちらもすすり泣きが広がり、私も切なさに涙をこらえ切れずでした。これは同じ脚本と演出にも関わらず、日本版の出演者が如何にドラマチックで劇的な作品に仕上げたかの証左であり、日本版ならではの美点と思っています。


因みに韓国版はサティーン女優が自分の最大の見せ場として凄い大見得を切って客席に向かって大演技で言い放ってました。


勿論、海外版には海外版の良さがあり、例えば、NY版は観客が踊りださんばかりにずっと盛り上がってるし、キャスティングも様々な人種、国籍、凄い技術やルックスを備えて、LGBTも踏まえた出演者で構成されて、正に全てが本物なのですが、


それでも、日本の観客の嗜好に合わせて、我々がカタルシスやシンパシーを抱けて感動して泣けるステージを作り上げた日本版の関係の方々に心からの拍手を送りたいと思ったのでした。


来年の再演発表も嬉しいです。地元大阪公演には帝劇へ同行出来なかった妻&娘も連れて行きたいと思っています。素晴らしい感動の舞台をありがとうございました。千秋楽の舞台も見たかったです。