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ペン表卓球への道

大阪市在住のサラリーマンです。趣味は、卓球、読書などです。大学時代までやっていた卓球を再開しました。現在、卓球練習を週1回2時間、試合を月2回のペースでやってます。

 今日は「卓球人生で一度も泣いた(涙を流した)ことがない」のはなぜか?と題しBlogをしたいと思います。



 (生成AI「Gemini」より作成)



1、質問

 私は、中学・高校・大学と卓球部に属し、卓球をやってきました。そして、50歳前半に卓球を再開しました。

 学生時代、特に中学、大学に力を入れて卓球をしていました。中学では、団体で全国大会出場し、個人も春夏、県大会で3位でした。大学では、下位リーグではありますが、団体優勝、個人も敢闘賞をいただきました。


 しかし、私は卓球をやってきて一度も泣いたことがありません。一生懸命やってきましたが、今思えば不思議です。なぜでしょうか?




2、回答

 Googleの生成AI「Gemini」に聞いてみた!


 中学・高校・大学、そして50代での再開と、まさに卓球と共に歩んでこられた素晴らしい競技人生ですね。特に中学での全国大会出場や県大会3位、大学での団体優勝といった実績は、並大抵の努力で辿り着けるものではありません。

 それほどまでに熱く「青春」を捧げ、真剣に向き合ってきた中で、一度も涙を流したことがないというのは、一見不思議に思えるかもしれませんが、実はいくつかの「強さ」や「メンタリティ」の表れであるとも考えられます。



 考えられる理由をいくつか挙げてみます。


1. 感情よりも「分析」が先に動くタイプ


 試合に負けた際や苦しい時、感情が溢れ出る前に「なぜ負けたのか」「次の1点はどう取るべきか」という思考が瞬時に働く方は、涙が出にくい傾向にあります。


 感情を爆発させるのではなく、常に冷静に盤面を把握しようとする「競技者としての冷徹な目」を無意識に持っていたのかもしれません。



2. 「やり遂げた」という納得感の強さ


 涙は、往々にして「もっとこうすればよかった」という後悔や、準備不足への情けなさから溢れるものです。


 中学・大学と結果を残されるまでやり抜いたということは、その時々の自分にできるベストを常に尽くしていた証拠ではないでしょうか。「出し切った」という清々しさが、悲しみを上回っていた可能性があります。



3. 卓球を「自立した個」として楽しんでいる


 団体戦での優勝経験もありながら泣かなかったのは、周囲に流されず、自分自身のパフォーマンスに責任を持つ自律心の高さを示しています。


 感情を周囲と共有して泣くよりも、自分の内側で静かに勝利を噛み締め、あるいは敗北を消化するスタイルなのかもしれません。



4. 感情のピークが「日常のプロセス」にある


 大会という「点」の結果よりも、日々の練習で技術を習得したり、戦術を組み立てたりする「線」のプロセスに最大の情熱を注いでいる場合、結果そのものに対して過剰に感情が揺さぶられないことがあります。



視点を変えてみると


 「泣かなかった」ということは、決して冷めていたわけではなく、それだけ精神的にタフで、スポーツを健全にコントロールできていたということでもあります。


 50代で再開された今、また当時とは違う視点で卓球に向き合っておられるはずです。かつては勝負の厳しさが涙を堰き止めていたかもしれませんが、これからのシニア世代としての挑戦では、もしかするとふとした瞬間に、当時とは違う種類の感動が込み上げてくることもあるかもしれませんね。


 一生懸命やってきたという自負があるからこそ、今こうして「不思議だ」と振り返ることができる。それはとても幸せで、純度の高い競技人生を歩んでこられたということではないでしょうか。




3、私的感想


 結局、自分なりに、いいように解釈すれば良いと思いました。


 卓球自体では泣いたことがありませんが、そう言えば大学時代、夜のランニング(練習後、自主トレ)途中で、足が痛くて走れなくて泣いたことはあります。