あの武蔵野卓球場は何処にあった? | ペン表卓球への道

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大阪市在住のサラリーマンです。趣味は、卓球、読書などです。大学時代までやっていた卓球を再開しました。現在、卓球練習を週1回2時間、試合を月2回のペースでやってます。

 今日は、あの武蔵野卓球場は何処にあったのか?についてblogします。

 今まで、その卓球場の存在に大きな意味があったと思われますが、発祥地(場所)にスポットが当たったことはありませんでした。



1、はじめに
 今回、あまり意味がないことかもしれませんが、書籍やネットの情報から、多分ここらあたりだろう?と場所を推測してみました。

 書籍から、どうやら東京・吉祥寺の五日市街道と宮本小路が交わるところ、現在のGoogle mapsを見ればセブン-イレブン吉祥寺東町1丁目店あたりだろうと推測されます。

 今回、色々と武蔵野卓球場について調べてみて、改めて日本卓球の歴史の中で、武蔵野卓球場(場主:上原久枝さん等)が存在していたことを永く記憶(記録)に残しておくべきだと思いました。



2、武蔵野卓球場とは
 戦後間もない1950年、ひとりの卓球経験のない主婦だった上原久枝さんが、東京の吉祥寺の自宅を改装して造ったのが武蔵野卓球場です。

 この卓球場から後の世界チャンピオンの荻村伊智朗が育って行きました。またその後、荻村氏が主宰する青卓会というクラブチームを上原さんは陰で支えました。

 当卓球場は、2007年12月に57年の歴史に幕を下ろしました。上原さんは1999年4月19日午前に逝去、99歳でした。


<武蔵野卓球場(1987年頃)・「地球の中の別世界」より>


<「ピンポンさん」(城島充著より>
   “天界からこの蒼い惑星のいちばんあたたかく緑なる点を探すと武蔵野卓球場がみつかるかもしれない”

   東京・吉祥寺五日市街道と宮本小路が交わるところに、かつて木造の小さな卓球場があった。普通の民家としか映らない二階建ての家屋を、ほとんどの人は卓球場とは気づかずに通り過ぎてしまうだろう。「武蔵野卓球場」「青卓会練習場」と横書きされた二つの看板は玄関の扉の向こう、短い渡り廊下を突き当たった低い天井の下にひっそりと掲げられている。卓球場にたどりつくには、さらにその奥にある引き戸をくぐらなければならない。


<Google mapsより>
(吉祥寺駅周辺、五日市街道と宮本小路の交わるところ)




3、余談
   実は私も「武蔵野卓球場」と接点がある?
私の中学の卓球部コーチ(東京で就職し、その後田舎に帰って来た)は、なぜか「青卓会」出身であった。中学3年の時、東京で全中大会があり、私もレギュラーとして参加した。田舎から東京に行き、大会の1日前に練習をした。確か宿泊所が恵比寿、試合会場が中野、練習場の電車の乗換えが新宿だったと思う?薄っすらとした記憶を辿ってみると、どうやらその練習場は「武蔵野卓球場」であったと思われる。その時、たしか民家の中に卓球場があり、コーチ(山根)がおばちゃん(上原さん?)に挨拶をしていた記憶がある。実に懐かしい思い出である。