という訳で、昨日は


弘前大学公開講座 

地域の歴史・民俗を学び、未来の地域づくりを考える

第三回 『青森県の民俗』     

弘前大学人文学部教授      山田巌子

10/20 1300~  

つがる市生涯学習センター 2階 視聴覚室


に出かけまして、サクサクサクサク、縷々記事を綴っていましたとこ

新手のトラブル『インターネットエクスプローラーは反応していません!』⇒『インターネットエクスプローラーに問題があるのでシャットダウンします!』⇒『インターネットエクスプローラーを復元しました!』でも((((((ノ゚⊿゚)ノ。



縷縷書いた記事は、真っ白けのケ!ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!。


まあ…、調子こかずに、マメに下書き保存して、バックアップとれって話だろうけどぉ。筆が走ると、「赤い靴」のバレリーナ状態なひこにゃんなんだよなぁ~(;´д`)トホホ…~



民俗学に興味のある方は、すでに昨日の講演メモをブログアップしてますんで、そちらを御覧ください。


ひこにゃんの『一人漫談』を御贔屓の皆様は、『雨天順延』(天気関係ねぇだろぉ~)と、いうことでヨロシコm(_ _)m

オシラサマの由来=馬娘婚姻譚 

昔、ある農家に がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには馬が娘に恋をしてしまった。娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。父はその馬の皮を木に架けていたが、ある時馬の皮が娘を包み、そのまま空へ昇り、おしら様となったのだという。『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、 の中の蚕虫を の葉で飼うことを教え、絹糸 を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の養蚕の神となったとも考えられている



中国の馬娘婚姻譚(4Cに書物に現れる)

大昔、ある大官が出生して家には娘一人だけだった。この家では牡馬を一頭飼っていて娘が世話をしていたが、寂しいので冗談を言った。「お前がお父様を迎えに行ってくれたら、結婚してあげる」

すると馬は手綱を引きちぎって走り去った。馬は一目散に父親のところへ行った。父親は馬を見て驚き喜び、そのまま家に帰った。

父は畜生の身でありながら真心があると感心していたのだが、娘を見る馬の態度がおかしいので娘に尋ねた。娘が事情を話すと父は家の恥になるから他言しないようにと注意し、石弓で馬を射殺し皮をはいで庭に干した。

ある日、父親が外出している時に馬の皮が突然娘を包み込んで飛び去っていった。そこで父はその木にと名づけた、桑とは喪の意味である。

その後、数日してから庭の大木の枝の上に、娘と馬の皮が虫と化して糸を吐いていた。今の農家が飼っているがこれであり、桑蚕と呼ぶのは伝説の蚕の名残をとどめているのである。

愛知県設楽にオシラ祭文に内容の似た伝承「こだま」(=小棚、蚕棚)

  オシラ祭文では 『伯楽=獣医、馬喰』が馬の恋を父に告げるが、こだまでは『博士=陰陽師』が父に告げている

羽黒修験の末裔の家に、祭文を記したものが残る・イタコは口伝

 

オシラサマは主婦が祀る神

  県南・下北~本家の主婦 津軽~個々の家で授かる

  夏泊半島

⇒以前は海路で下北のイタコが来た、のちに陸路による津軽の宗教者との関わり

   昭和30年以降は、個人でオシラサマを授かる家が激増

(カミサマを授かった20例のうち13例はオシラサマ)

複数の神を祀りはじめた家も見受けられる

   その頃 オシラサマを授かった主婦の特徴~広い行動範囲を持つ人が多い

   cf.H夫人 御詠歌の講や恐山参拝など行動範囲が集落域の外に大きく広がる

  ↓

 家の神から『個人』の神に

オシラサマの研究対象

~その起源由来からオシラサマの今の位置付けやその価値へと変化

『神は容易に物質にはなり難い』

  博物館に寄贈されるオシラサマの神体

⇒のちのち、博物館と寄贈者のトラブルになるケースも

現在は寄贈から寄託の方向へ

山の神  父は大王  母は虎王

     産に立ち会った 南のれっつに12人の子供の名付けを頼む

     12人の子供の名は 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

         山の神は12人の神

 山登りは12人を避ける (12人の場合は人形を帯同)

山の民は、死の穢れよりも産の穢れを恐れる

山の神の言い伝え~神楽・昔話・イタコの祭文

神の名付けの伝承は、愛知県北設楽郡にも

 花祭り「榊問答」 けんばい~大地を踏みしめ厄を払う

          湯ばやし

           でかまどをつくり・をくべ・()を沸かす~陰陽道の要素

 太郎の子供の名付け~十干

二郎の子供の名付け~十二支

三郎の子供の名付け~暦

四郎の子供の名付け~九曜

五郎姫~土用を与える

『オシラサマ』…養蚕と関連した神→神体を桑の木で作ることが多い

   ↓

東北全域で信仰。最近では道南まで広がる

~移住民が持ち込み、のちには本州の宗教者が訪れ広めている

オシラサマの祭文-口寄せ巫女によって(除、福島)

         イタコ~口寄せ巫女の一種

オシラサマの呼称

オシンメ様」「オシンメイ様」(福島県)、「オコナイ様」(山形県)など、他にオシラガミオシラホトケ(岩手県)カノキジンジョウ(桑の木人形)

オシラサマ 津軽~金襴の衣、他に冠やメダル

      南部~赤い衣、胸元に鈴←「子安様」との混合

オシラサマ~佐々木喜善により全国に知られる

       ↓

     遠野物語の語り手

伊能 嘉矩(いのう かのり)慶応3(1867)~大正14(1925)

遠野出身の人類学者・民俗学者

オシラサマとアイヌの関連~アイヌの『イナウ』(木の御幣)

             祭壇用イナウ(ヌサン)がオシラサマの神体と形状が類似

他にも、ウィルタ樺太(中部以北)の先住民族、ツングース系の木像(家の守り神)

アイヌのチセコロカムイ(チセ:アイヌ伝統家屋の全体を司る神)

日本の『削りかけ』(紙が普及する以前の御幣)→弊=祭りの時の神の依代(よりしろ)

岩手県のオシラサマ

 種市 真下(まっか)家 大永5(1525)年の銘・東和町 菊池家 元亀3(1572)年の銘

  →包頭型のオシラサマ(cf.青森県はall包頭型)

 江刺 貫頭型のオシラサマもある(人面、馬面)

  遠野の佐々木喜善の家は貫頭型のオシラサマ(人面、馬面)

秋田県小坂~白い衣

山形県鶴岡(オコナイサマ)~笹竹に和紙

宮城県石巻市~1対ではなく1体のもの

福島県岩代(オシンメイサマ)~祭事に参加者の一人に託宣

  青森ではイタコに託宣

高山稲荷に収められたオシラサマ~託宣の印に久渡寺以外の印も

(最勝院、蓮乗院など)

平賀・天台宗

蓮乗院の『オシラ講』~本堂に一同に飾り、読経・お清め

久渡寺のオシラ講~オシラ祭文はイタコが

岩手県宮古市堀内のオシラ講~「オシラアソバセ」の呼称・豊作を祈り、預託