慶長5年9月15日
美濃国不破郡関ケ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を
主戦場として行われた
関ケ原の戦いがあった日でございます。
我が主君
敦賀城主
大谷吉継が亡くなった日でもあります。
岐阜関ケ原古戦場記念館の
大谷吉継の説明には
『敗戦を予期しながら・・・』
となっておりましたが
最初から
負けるとわかっているようなイクサなど
あなたならしますか??
越前兵はしません。薄情モノ|ω・)
しかし、大谷吉継はしました。
徳川家康との関係も良好だった彼。
亡くなった豊臣秀吉からも
『百万の兵を指揮させてみたい』
と言わせた漢。
きっとなんらかの勝算があったはずだと思っております。
近年、玉城が話題を集めましたね。
玉城の麓に大谷吉継、
前線に宇喜多、島津を配置して、
玉城に豊臣秀頼、毛利輝元が入り
ひょうたんの馬印を立てれば、
西軍の勝利は決定的という策。
東軍は豊臣秀頼が西軍についたら
逆賊となるから
退くしかなくなる・・・??
関ケ原合戦図屏風にも
これきっと玉城なんじゃないかな( ,,`・ω・´)ンン?
あと1時間で開戦の午前8時を迎えます。
いろんな想いが交差しぶつかり合った時間。
越前兵も仕事という名の
イクサ場へ出陣いたしまする(・ω・)ノ
今日はなんだか
落ち着かない一日になりそうです<(_ _)>