「折り返し電話してください。」
そのメモには想い出すだけで胸が苦しくなる、そんな人の名前があった。



営業所へ外出した時に初めて出会って、その時はその他大勢の仕事相手の一人に過ぎなかったのに、その人が本社へ来てた時、向こうから声を掛けてくれて・・・。



仕事の時は勿論、他愛ない会話でもその人は私をまっすぐに見て話す人だった。



指輪は・・・、してない。
もしかしてこの人が私の運命の人?!



そんな思いを抱きながら、片想いすること一年半。



「見つめてるだけじゃ始まらないよ。」
先輩の後押しもあり、やっとの思いで花火に誘ってみたけれど・・・。



「彼女が居るから一緒にはちょっと。。」



忘れもしない8月1日。即答だったんだよね。
まあ、焦らされても仕方のない状況ではあったのだけど。



自分でも信じられないくらい、泣き崩れてしまった。
その状況を思い出すと、今でも泣けて来るほどに。
それは想いが届かなかった哀しみもあったけど、既に三十路を過ぎていたこともあり、自分の人生がとてもみじめに思えた、そんな感情のほうが大きかったようにも思う。



間もなく彼は地方へ転勤となり、風の便りで彼女と結婚したということも知った。



もう関わることもないと思っていたのに。
あれから4年。
私ご指名で問い合わせだなんて。。



でも、折り返した電話はお互いすれ違いを何度か繰り返し・・・、っていう時点で私も声を聞きたかったということか。
4回目くらいでやっとつながった時、動揺を悟られまいと平静を装って問い合わせの回答をぺらぺらと答えたのに、電話の最後に「お元気ですか?」って。



「ぼちぼちです。」なんてありきたりの返事をしたけれど。
「会いたい。」なんて言ったら困るくせに。男はズルイ。



でも、本当は泣いてしまうほどに「会いたい。」



「器の大きさ」って何で決まるのだろう?


小さなことに、とやかく言わないこと?
自分の財産等を出し惜しみしないこと?


本当に器が大きい人とは、相手を受け入れる(受け止める)広い心を持つ人のことを言うのではないか、と思う。



人のことは、器が大きいだの、小さいだの、勝手に批評しているけれど、果たして自分はどちらの部類に入るのか?


そもそも人は自分の身の丈ほどの器しか持ち合わせていなくて、様々な知識を習得し、生きていく術を身につけ、友との絆を深め、愛する人を守るために、器(度量)をより大きくするのではないかと思う。


友情や愛情、絆や信頼関係が無ければ、人はもろく戦う勇気さえ持てない。


こんな私をBOSSと慕ってくれる後輩たちの為、足を引っ張ってばかりで出来の悪い私に大役を任せてくれる先輩や上司の為、‘自分’を器の外に放り出しても周りの人たちを、様々な出来事を受け入れ、今、私は頑張る時なのかもしれない。


たまには弱音も吐きながら。
頑張れ、私!

本当の自分と、役割を演じている自分を知ってからというもの、随分気持ちが楽になったのだけれど・・・。


何故、人は強くなろうとするのだろう?
何故、強くあらねばならないのだろう?


辿り着いた答え。
それは、守るべき何かを守り抜くため。


守るべき何か、それは
愛する恋人や家族かもしれない。
大切にしてきた物かもしれない。
地位や名誉かもしれない。
財産かもしれない。
もしくは、自分自身かもしれない。


最近、本当の自分の気持ちと、立場を以ってした回答との距離がどんどん開いていて、どうすればいいのか、考える程に答えは遠退き、気持ちが後ろ向きになりかけていたけれど・・・。


人は役割りを担うことで、また成長する。
そして新たなフィールドの戦いで、その力を如何なく発揮する。


・・・ところまでは分かっているのだけれど、目の前には待ったなしの仕事が(+o+)
聖徳太子の頭脳と千手観音の御手、なんて最強のパーツが手に入らないかな~。