
入院当日は、脳神経外科のS先生が不在日だったので、
翌日、S先生より娘の私に直接電話がありました。
母に伝えても、大事なことを忘れてしまうこと。
父に万が一の場合、母では耐えられないこと、を考えて、その大役は娘の私になったのでした。
S先生からの話は
私にはとても胸が締め付けられるものでした。
それは、父の今の状況を、
感情を込めずに淡々と話すものでした。
まず、
1) 脳幹梗塞を点滴で治療していくこと
2) 今の父は、せん妄状態であること
3) 飲み込みの障害があるので、週明けまでは、点滴で栄養を取っていくこと
4) 脳幹梗塞のため、生命の中枢であり、呼吸に影響が出て、呼吸がしずらく、意識が悪くなってしまうこと
5) そして、呼吸不全になったら、どうしますか?
と言うようなことでした。
「せん妄」とは?
「呼吸不全になったらどうしますか?」とは?
「重要な時は、コロナ禍でも面会が出来ますか?」
わからないことがたくさんありました。
*「せん妄」は、意識の障害のことで、
92歳で、初めての入院、なおかつ認知症も少しあるので、意識障害が出ているとのことでした。薬で抑制している様子でした。
*また、「呼吸不全になったらどうしますか?」とは、人工呼吸器を付けますか?
心臓マッサージはどうしますか?とのことでした。
私の頭の中は、
S先生が話された内容が、父の状態がとても危険である、と言うことだけはわかりました。
あまりにも、色々な症状をたくさん
たくさん言われたので
父がたくさんの症状と闘っているのだ
と言うことがわかり、
頭の中は、パンパンでした。
すると、S先生は、
ご家族で相談してから、
呼吸不全の時にどうするか、連絡してください、と言われました。
それから、娘の私の携帯電話は24時間、何時でも繋がるようにしておいてください!
とも言いました。
この24時間いつでも電話を受けられるようにしておく、
と言うことが、それからの私に
強い緊張を与えるものになっていきました。
この時の事を思い出すと、今でも緊張感を覚えます。
そして、この日は眠る前に
自然と父に想いを込めていました!
「大丈夫! 良くなって、また家に戻れるから! だから、頑張って! 待ってるよ!」
