写真を撮ること | チャーリーのケツバットで日本一周自転車の旅

チャーリーのケツバットで日本一周自転車の旅

チャーリー あおきです
全国の風景写真を撮影して旅をしています
今回の旅は
資金を集めながらの、日本一週の旅に成ってしまいました
方法が考えた末、ケツバット
2発100円で日本各地を自転車で周って行きます
見かけた時には、ぜひ、フルスイングで

なぜ写真を撮られるのが嫌なのか?
シャッターを押すことに、プロもアマもない。シャッターを押すことに責任を持ってプロは押す。
責任とは、命を掛けてシャッターを押している。1枚の写真で命を落とすカメラマンもいる、自殺する人もいる。それは、全て、「知らせたい。教えたい。」気持ちから来ている。

素人が、私の写真を写す。例えば、


こんな写真。
この写真を写した本人だけで、楽しむには、何の問題もない。が、あなたが、この写真を撮ったとして、一人でニヤニヤしておわるのか?
すると、人に知らせたくなる。
この、人に知らせる、教える。この行為が犯罪にあたるのだ。

プロも素人も、写真を撮る行為に、何ら違いはない。

えっ!こんな写真に何の責任があるのか?
インターネットに流して、1日、2人が見て新しくまた流したら、2日で、4人、すると、30日で、1億人が見る。その中に、「へー、こんなんで旅が出来るんだ」と、同じ旅がスタートされてしまうと、私の旅の意味がなさない。
解りやすくすると、


例えば、この写真が繁盛店の物なら、まねする所が現れる、否定する人も現れる。インターネットや、テレビで紹介されると、大抵、潰れる。
例えば観光地であった、清里
和食の名店だったお店、などなど、心ないカメラマンに潰され、なかには、「一度は有名に成れたんだ。」などと、ほざくやつもいる。

カメラマンには、伝える責任が付きまとう。写真に写る、過去も未来にも責任を持ってる。私の写真に、人物が少ないのは、その責任が面倒いからだ。

では、素人ならどうすれば、いいのか!
聞けばいい。それだけだ。


書き込みに、
「こんなやついた。」
「○○にこんなやついて、○○に向かうんだって、」
聞いて撮ると、捉え方がかわる。書き込みもかわる。それが、責任だろう気がする。

だから、こそこそ写して逃げる様な奴は許せない。許す気もない。

あなたは、シャッターを押して、その中に写る物の、責任とれますか!もちろん、ブログに載せても、将来起こりうる責任を理解してますか。