私の2019年の抱負。
大してすごいって思ってなくても「すごい」って言ったり、
大して面白くなくても「ウケる」って言ったり、
大して不幸じゃなくても大変な経験とか話をどうにか見つけて共有して妬まれないようにしたり、
大して尊敬してもいない人にペコペコしたり、
自分が悪くもないのに謝ったり。
結構これって日本人の文化みたいなところもあって、そう簡単に拭いきれるものじゃないと思うんだけど。
だけどそうゆうの辞めようと思う。
いやアンタ元々できてなかったじゃんって言われそうだけど。
これからはもっと、もっと、辞めようと思う。
何故ならば、そうゆう心の中と言葉が繋がってないことが単純に嫌いだから。自分じゃないから。
それが分かりやすすぎるとか、きついとか怖いって言われることも沢山ある。
だけど私も自分を31年間やってきた経験上身をもって学んだんだよね。
自分が嫌い、出来ない、自分じゃないってことやっても逆に不自然だし、何て言うのかな、私はたぶんもうどう頑張っても「はっきりものを言う人」の属性だから、「柔らかい優しい人」になろうとしても、もうそれは根本的にできないんだよ。逆に空回りするし、そうなろうとして物事が上手く運んだ試しがない。
「扱いづらい人」って思われたくなくて、「扱いやすい人」になろうとしたら本当に良いように扱われて結局不満ばっかり溜まる。それで気付く。そもそも自分って簡単に扱われたくないって前提があるのに「扱いやすい人」になっちゃったら矛盾してない?って。だから自分は「扱いづらい人」で居るのが何だかんだで一番心地良いんだなって。
他にもたくさんあるよ。「わがままな人」って思われたくなくて、「聞き分けの良い人」になろうとして何でもかんでもやりたい放題、言いたい放題されて結局腹が立つとか。「怒らない良い人」って思われたくてやってたら、周りの発言が失礼極まりないとか。とかとか。
これって「どうしてあの人は、、」って相手を責めるよりも、まずは自分のキャラ設定に問題があったんだよね。
私は簡単に扱われたくないし、言いたい放題言われるのも嫌だし、都合よく利用されるのも嫌だから。
それなら自分の為に責任もって「扱いにくい人」だろうが「わがままな人」だろうが「やりすぎると怒る人」でも何でもなろうと思うし、ならなきゃいけないと思う。
だから胸を張って嫌なやつになる。笑
もっともっと自分になる。私の2019年の抱負。
数字の力って偉大だ。
もう将来自分の子供の名前「Number」にしようかと思うぐらい←
具体的にどうすごいのかって言うと、
・細かい数字を挙げるとぐっと説得力が増す
・利益の数字、営業の数字、今自分がどこにいるのかが明確にわかる
・逆算してあとどれぐらい必要なのかも明確にわかる
・私の好きな言葉"It's all about numbers."ってあるように、数をこなせば必ず当たる。
とかとか。これ程に私は「数字」の持つ力を信じてるんだけど。
今日一番感じたのはさ、数えてみることの大切さなんだよね。
例えば、「いつも変な男に引っかかる」「失敗しすぎて向いてないのかなって不安になる」「みんなそうやってる」とか。
でも、
『実際引っかかった変な男って何人?』
『失敗しすぎたって具体的に何回失敗した?』
『みんなって何人?』
って本当に数えてみたら、変な男200人に引っかかった訳でもなく、せいぜい5回ぐらいの失敗しか思い出せないし、みんなって片手で数えられるぐらいしか名前が思い浮かばなくって、案外そうでもないなぁってことが分かったりする。
不安とか弱気はいつもフワッとしてるから、それを具体的に整理したら「あれ、言うほどでもないじゃん」って自分で妙に納得できる。
この具体化するってゆうのに、数えることってすごく効果的だと思う。
人の意見に流されそうになる事もあるけど、自分の思い込みに流されそうになる事はもっとあると思うんだよね。
だから数えて、事実を見て、思い込んでたことに気づく。
真実はいつもひとつ。キラーン✨
あなた、「ち」で始まる名前でしょう?
だって全く苦労とかしたことない顔してる。
と、昨日初対面の人に言われた「ち」で始まる私です。
一体この人の過去において、どれだけの「ち」で始まる女たちが苦労をせずに通り過ぎて行ったのだろう(笑)
だけどこれ言われてすごい嬉しかったんだよね。
実際にどれぐらい自分が苦労してるかとか、自分じゃ分からない。
自分から見た「こんなに苦労してる」と「これだけしか苦労してない」、他人から見た「あの人あんなに苦労してる」「あの人いつも苦労しない」とかって考えようだと思うし、そこに〇〇と比べて、、とか比較の対象が入ってきたら本当にもうよく分かんないし。
受け取り方によってはさ、苦労してないでしょってちょっと失礼になりかねないと思うんだよね。
だけどなんだか光栄に思えてしまったのは、
昔は努力してなんぼ、苦労は勲章、自分の力で人生を切り拓いていく!みたいに思ってた自分から、
苦労せずに、なんなら努力もせずに←、他力に頼りまくって、運に手を合わせて生きていきたい、って思うようになったから。だと思う。
書いてたらただの怠惰な奴みたいだけど。
でもそんな自分でも大して周りは気にしないし、そんなこともあるよねーって逆に手伝ってくれたり応援してくれたりする。
まぁ苦労しててもきっと応援してくれるんだろうけど。
だったら自分が楽しくて難しくない方にいた方がいいよね、って思うようになったんだよ。というか思わざるを得なくなった。だってもう色々疲れちゃうんだもん。
だから「苦労してなさそうに見えるやつ」って自分としてはすごく好きだったな。
「年下とはデートしなさそうに見える女」に年下が寄ってこないみたいに、
「苦労してなさそうに見えるやつ」には苦労は寄ってこない、みたいな。
昔の自分だったら、きっと「私の事知らないくせに!」ってなったと思うんだけど。
今は嬉しくなっちゃうなんて人の考え方って変わるもんだね。








