「Some Girls Live In Texas '78 」映画館鑑賞前夜 4 | 俺はShattered

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50歳を過ぎて、「この調子なら100歳まで」と思っていたら、とんでもない苦境が待っていた。そこをくじけずに、生き延びようとする哀れで滑稽で笑止千万な人生の「後半部分」を再構成するシュールで決定的で虚無的なアメブロ。

(つづき)

映画「サムガールズ、ライヴ イン テキサス ’78」

ついに明日、劇場公開である。
実に待ち遠しい2ヶ月であった。
なんだか、わくわくするのである。
子供の時の遠足気分なのである。
(58歳になっても、この調子で呆れる方もいるが、
 事実だから仕方がない)

多分、みんなで出かけ劇場の大きな画面で見られるからだろう。
それは「感動の共有」ということなんだと思う。
もっと言えば「価値の共有」だ。

現代はともすれば個人主義のために、価値の分断が
日常化されて、なんだかさみしい。
殆どの商品は「個人主義的・孤独主義的」に生産され、製造されている。
人間はひとりひとりが固有の価値観を所有して、
それぞれの好悪の感情があり、経験も視点もちがい、
また美醜や体型や趣向もちがう。
何よりも「感性」がちがう。
だからといって、てんでんばらばらがいいと言うものではない。
孤独では生きられないのだから、必然的に何らかの「共同性」に
向かわざるをえない。

かつては一家にテレビが一台で、家族そろって食事をしながら
同じ番組を見て、人数も多く、わいわいと言い、
観ながら感想を言い合い、価値観のちがいや共通性を確認出来たものだが、
今では、個人の価値に添って快適性を高めるあまり、
「価値の共有」を家族内部にではなく、ヴァーチャルな外在へ
向けるようになってしまった。
社会全体では、共有すべきリアルな価値は希薄になってゆく。

集団と個人のあり方が、いつのまにか、すっかり変質してしまった。
関係性が変わった。偽善的で匂いや感触が少ないのだ。
でも、これではあまりにも寂しいのである。
孤独にすぎる。すぎたるは及ばざるがごとし。

それを埋め合わせるためではないのだが、
ストーンズのコンサートや映画をみんなで観に行くのは、
実に楽しい行事なのである。

すでに4回は観ていても、それらとは全く異なる次元なのである。
それは集団で鑑賞する行為は、すなわち、
価値のちがいや視点や視座のちがいをリアルに確認出来るからだろう。
それは言葉だけではないからだ。
観賞後の、わずかな一言や表情を見知って、
さらに「おのれはなんであるか」を
確認出来るからだ。それがたとえ全く見知らぬ他人でも、楽しい。
見知って親しい相手なら、なおさら、多分100倍は楽しい。

ああでもない、こうでもない、とわいわいしながら、
互いの価値観やおのれの価値観を新たに認識し直しているのだ。
そしてそれが、楽しいのは、価値の新たな新陳代謝や
向上心へと連結しているからだと考える。

また、単純に、皮相的に、ストーンズの新たな面を感じたり、
知識を得たり、忘れていたストーンズの魅力を再確認したり、
無意識に、そういうものを得ているのだ。
それが幸福な感じへと繋がっている。

おそらく、一人で部屋に閉じこもり、ブルーレイやDVDを観た
時とみんなでわいわいしながら映画館で観る映画とでは、
得られる情報量や感性の実りは、格段にちがうはずだ。
鑑賞態度や集中力もちがうだろう。
そしてそれは一人でじっと画面に見入って得られる幸福感とは
また別な次元の快感があるものだ。

天涯孤独と言う人は沢山いても、実際に天涯孤独の人は
それほどいないだろうし、おそらく人間は完全に天涯孤独では
生きられないだろう。もし、仮に山奥や僻地や極地や獄中で、
天涯孤独に生きている人がいても、おそらくそれは
生物学的には人間でありながらも、
「人間と呼べない生き物」になっているのであるまいか。

ともかく。33年間も眠っていた画期的なミック・ジャガーを
観にいくのだ。35歳直前のミックだ。
キースだって凄いぞ。
ロニーもカッコいいぞ。
チャーリーだって。
ビルなんて指に怪我してるんだぞ。

それにしても、これまで行った事もない地方の映画館に
わざわざ行くのも初めての経験だ。
これもストーンズの「おみちびき」なのだろう。
一体、何が起きるやら、ちょっと心配もある。

なんでも映画館によって、サウンド再生装置やスクリーンの
大きさが異なるので、今後、ネットや口コミで、
「ああだった、こうだった」「ああでもない、こうでもない」と
かしましくなるのだろう。
それもまた楽しいのである。
それこそが楽しいのである。

映画作品自体は間違いなく最新鋭の器機で作られているので、
それに見合った器機が映画館に備えられていればいいのだが、
などと心配になったりする。
また映写技師が勘違いして、キースの音をオフにして上映したら
どうしよう、などと心配するのである。
見事に分解、ミックスされ直している。

昨年の「レディス&ジェントルメン」を有楽町の映画館に
観に行ったら、ひどい事になっていたのを思い出す。
それも入院中だったのを無理矢理、傷を押さえながら、
行ったら、何ともひどいことになっていた。
ミックの声がオンになると、キースのギターサウンドが
オフ気味になるのであった。
映画館に不満を言うと、「当方の操作ミスではない」と言っていたが、
あれこれ調べても、結局、原因は不明だった。
2回も行ったのに。

まあ、完璧を求めれば際限がないのだが、
せめてボブクリの渾身の技術が的確に再現される事を
祈る他はない。




さあ、みんなで映画館で大騒ぎしましょう!

なんていって、映画館の人に叱られたりして。あはん。