見えない力を求めるのは
何かを埋めるため

くぼみにちょうどのが見つからないから

見えない何かで埋めた気になる

本当に欲しいのはそれじゃないけれど

なにが「本当に」かはもうわからない

いつもは忘れていられるけれど

わからない「本当に」がたまに大暴れする

でれないのは

何かでふさいでいるから
こうあって欲しい、っていう父親像、母親像とあまりにかけ離れている。

勝手だけれどそこにも物凄い怒りを感じている。

二人共あまりにも「親」にむかない「親」。

いつだって子供が我慢して理不尽な暴力を引き受ける。

自分がごみ箱になって。

よく社会にひろっまっているような、ステレオタイプの「親」に育ててもらっていたら…
もっと安心して自信を持って生きて行くことができたんだろうか…
守られている感覚…
手に入れたこと…あったのかな…


では、その理想も、「親」「親子」っていう概念すら捨てて、ただの人として彼らをみてみたらどうなんだろう…?

少しは冷静に観察できるかも。
誰かの何かにイラつくときは、原因は自分の中にある。だから自分の内側をのぞいて原因をつき止めればお終い。

あたまではわかっていたし、実践もしていたけれど、なぜか父親の分だけは出来ていないことに気付きもしなかった。

人のせいにしている間、問題は自分の手で扱うことは出来ない。

逃げずに見つめれば、なんかおっきいイライラがすっきりするかも。

大嫌いなお父さん。