寂れた宿ではあったが、これより
先は宿に泊まることは不可能だろうと
今宵は宿に泊まることとなった。
「なんだかいまにも崩れてしまいそう
大丈夫かしら」
ウンスは不安気に天井を見つめていた
ふと見れば天井のあちらこちらに
穴が空いている。
壁には戦のあとであろうか
鋭利な刃物で斬ったような跡が
いくつも確認できる。
幸いにして母屋ではなく離れを
借りることができた為
戸口を開ければチュホンの姿も
すぐそこにある。
だが夕餉だけはウンスの胃袋を
満足させたようであった。
「山の幸を上手に工夫して
作っているのね…」
「ここは敵地に違いゆえ
ひっそり営んでおるのであろう」
「そうよね、あ!キム・スンギョって
言ったかしらあの太めの人
見つからないといいけどそれと
ヤンにも会いたいな~
もう二度と会えないんだもの」
「あやつ!許さぬ!ウンスに
あのような真似を、貴女に触れて
よいのは、俺だけゆえ」
そして、二人は熱い夜を過ごし
チュホンはきっとやれやれと
長い首を振っていたに違いない。
翌朝蒙古の地へと脚を踏み入れた。
「おい!あの女人!」
ウンスをキムに渡したごろつきに
街道で見つかってしまった。
だがヨンはそのごろつきを知らない
ウンスも気づいてはいなかった。
「ねえ~ヤン君の家ってこの辺じゃ
なかったかしら?」
「ああ、記憶があの長屋で
戻ったのだ、忘れるはずがなかろう
あの長屋に違いない」
見れば粗末な長屋が数件ならび
子らが元気にはしゃいでいた。
ウンスはその中からヤンを見つけ
大きな声をあげ手を振る。
「あ!ヤンよ!ヤ~~~ン」
「ああ~ずっと前にあった人~」
「ヨン、チュホンを止めて
挨拶しなきゃ」
ヤンがこちらに向かい駆けてくる
ウンスもチュホンからおろして
もらい両手を広げ待っていた。
ウンスの前に大きな背中がひょいと
割り込みヤンを抱き上げる。
「もう~ヨンってば!相手は子供
なんだから、そんなことしなくても
いいじゃない!まったく~」
「・・・いや、そうではなく・・
幼い子は加減を知らぬゆえ
勢いよく飛び付き、ウンスが怪我でも
したらと・・・」
ウンスがぷぅ~と頬を膨らませると
ヨンはヤンを抱き上げたまま
しどろもどろに言い訳を繰り返す。
「わぁ~~たかい~~、ずっとむこう
までみえるよ~~」
「そうね・・・高いでしょう
うふふ、ヤン?オモニは?」
言ってる間にヤンの母が驚き
こちらに駆け寄ってくる。
「おや、あんた達…そっか開くのか?」
「はい。だから一目別れが言いたくて
道すがらだったし
寄らせて貰いました」
「そっか・・・無事にお戻りよ
これから先はあいつの縄張りだから
気をつけていくんだよ」
「はい、ありがとうございます
この人強いから大丈夫です!
へなちょこなんか指先一本で
片付けてくれますから」
「アハハッ…指先一本かい?それは
見ものだね~キムはほんとうに
目障りなんだよ、期待しているよ」
ヤンの母親チセは、豪快に笑い
あれやこれやとキムの愚痴を
こぼしていた…四半刻ほど立ち話を
していたのだが、さすがのウンスも
疲れてきたのか別れを口にする
「それじゃ…私達行きますね
チセさん、お元気で・・もう会えない
けど・・・」
「おや…あたしとしたことが・・・
お茶も出さずごめんよ・・くれぐれも
気をつけていくんだよ」
「はい…ヤン元気でね・・・」
ウンスはヤンの目線まで腰を屈め
その頭を優しく撫でると
こくりと頷くヤン。
そしてチュホンに跨がり
別れを告げたのであった。
もう二度と会うことは叶わないが
どうか戦に巻き込まれることなく
生き延びてほしいと、ウンスは
胸のうちで願っていたのである。
「ウンス…手綱を頼めるか?」
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