□1/1(金) 元日
飲み帰りの電車の中で年は明けて
駅を降りた時にはもう2010年
迎えに来てもらっていた車の中には
母も姉も弟も乗っていて
そのまま母方の実家の淡路へ向かう
車中で久しぶりに家族と話す自分は
やっぱり少し嬉しくて
はしゃいでいたように思う
・・・
小一時間のドライブの末、祖父母宅に到着
久しぶりに祖父、祖母と話す
こたつを囲んで、家族が揃っているのは
当たり前の光景のはずやけど、何か不思議な感じで
前にこんな感じになったのは
いつやったかな、と考える
そうして出てきたのが、なぜか小学校ぐらいの記憶で
でも目の前の光景は、もう兄弟の全員がいっちょ前にオトナで
ベタに「あっという間やな」とか思った
でも
10年近くの重みを持った「あっという間やな」という感情は
今まで味わった事のない悲しさがあった
・・・
そのまま眠って、起きたのが10:00
寝起きのまま色々と何か食べて
昼過ぎに初詣へ
久しぶりに運転するAT車は
片手片足の仕事がなくて、何やら不安になる
・・・
何となく、特に意味もなく1円玉を2枚放り込んで
手を合わせる
2010年の自分の事と、自分以外の事
目を閉じて数十秒、願うというより考えた
もし神様が居たとしたら
結局この人間は何を望むのか
1円玉2枚の意味は何なのか
散々迷うに違いない
・・・
そのままの勢いでおみくじも引いてみる事に
持ち帰らずに、くくりつけてきたので
『吉』であるという以外、詳しい事は覚えてないけど
『基本的にうまくいくけど、色情沙汰がそれを乱す』
みたいな感じやったように思う
思い当たりがあるようで、無いようで
複雑な気持ちになる
・・・
ここまで来たら、というわけで絵馬も書いた
有神論/無神論のグレーゾーンの住人、言うなれば宗教学的素人の自分は
基本的に願い事とか、夢なんかは
努力なり勇気なりで、自分で何とかするしかないと思っている
叶えたい事や、望んでいる事
そんな大事な事を
相手は神様とはいえ、人任せにしてはいけない
じゃあ、神様に何を願うのかという話になるけど
そこで自分が思うのは
「この部分は神様に頼むしかない」みたいな部分の事
もっと調子に乗って言えば
「こういう事は神様に託してみてもいいかな」みたいな部分の事
他人に任せてもいいような、最重要ではない事に
まぁ相手は神様なので、多少の我侭を添える
絵馬に書いてもよい内容は、そういうモノなのだ
と、力説してみたけど
まぁそういう意味では100点満点の願掛けができたように思う
・・・
それなりに豪勢な夕食を頂き
祖父母宅を出発し、神戸の自宅に戻る
家族と色々話し、ぐっすり睡眠
・・・
■1/2(土)
弟とTSUTAYAでCDを借りたり
愛犬ルー♀の散歩に行ったり
実家らしい一日を過ごす
・・・
実家やから心が安らぐとか、ゆっくりできるとか
正直そこまでの感慨はないけど
どうもここに居ると
専門書を読んだり、研究の事を考えたりとか
そういう『本業』の事に意識が全く行かない
小説を読む気さえ起こらない
本当に『何もしない』生活になる
でもそれは何故か、と言われると微妙なところで
『理由A.現在自分が1人暮らしという立場で、久しぶりに帰ってきたから』なのか
『理由B.もともと自分にとっての実家が、そういう空間だから』なのか
いまいちそれはよく分からない
どっちにしても
研究を続けて一人前になるまでは
ここにはもう帰れんのやな、と感じて
また少し悲しくなる
これも一種のホームシックなのかもしれない
・・・
■1/3(日)
昨夜、不注意でメガネを踏んで壊してしまった
「やってしまった…勿体無ぇー」と嘆いたものの
レンズ込みで、\4,000で釣りが貰えるような値段で
まるまる4年使っていたので
まぁタイミング的にはちょうどよかったかな、と
開き直って、新調しに出掛ける
レンズ込みで\5,250、先代並みの安価で新しく買ったメガネは
前のよりもしっかりよく見える
まぁ「前のよりもしっかりよく見える」という事は
それはつまり自分の目が悪くなったという事やねんけど
・・・
ある程度、決まった時間に
おいしい食事を、朝・昼・晩と3回しっかり食べれるのは
やっぱり実家ならではの特典で
普段の自分の食生活のズサンさを痛感する
村上春樹の小説によく出てくる30代男性のような
規則正しい生活がしたい
・・・
■1/4(月)
10:00頃に起床
ぱぱっと着替えて、荷造りして、食事を摂って家を出る
次に来るのはいつやろか
卒業や引越しなんかもあるし、割と近いような気がする
・・・
三宮で服やら本やらを購入
福井も神戸も、住んでみてそこまでの差はないけど
地元という補正もあってか
やっぱり自分にとって上記の2点は神戸に軍配が上がる
どっちも福井に居ながらにして通販で買えるけど
どっちも実際に手にとって選びたいものでもある
服も本も、それなりに満足のいく買い物ができたけど
本を買ったときの方が、テンションは上がっていた
何か徐々に、いわゆるファッションに対する興味が薄れている
そういう雑誌もあんまし読まんくなった
・・・
梅田から高速バスに乗り込む
車中で買ったばかりの本のうち、一冊だけ読んだ
鷲田小弥太『新・大学教授になる方法』
タイトルの通り、大学教授になるまでのプロセスが
実体験も含めて書き綴られているけど
でもなー
実際になってしまってる人はなー
どうにでも書けるからなー…みたいな気持ちになる
『達成した人間』が書いたものは
どうしてもあと数歩のところで、現実味が薄れる気がする
本気で目指してる人が馬鹿を見るんじゃないか、とさえ思う
・・・
もし自分が
「達成した人間」の立場で書ける事、例えば『大学編入』についての本を書くとしたら
おそらく、全体的な雰囲気として
「自分でも受かったんやからみんなも大丈夫やって★」みたいな感じになるやろなと思う
そこで、なんかリアリティが無くなる気がする
さっきの話に戻すと
大学教授になる方法についての本を書くなら
内容の半分以上は
大学教授になれんかった人が書くべきで
50代なのに助手どまりの人や
ポスドクの任期が終わり、無職になってしまった人なんかの
生々しい実態も覗いてみたかった
でもまぁ、万人の読み物としては
サクセスストーリーじゃないと売れんし、誰も読みたがらんわけで
偉人しか伝記にならんのも
つまりはそういう理由だ
・・・
確かに、成功者から学ぶものは多いけど
反面教師的に、失敗者から学ぶべきものが沢山あるような気もする
まぁ後ろ向きな考えではあるけども
成功者の生き方を真似るよりも
失敗者の生き方を繰り返さないよう心がける方が
有益になる時もあるんじゃないかな、と思う
「こういうヤツにはなるな!!」的な意味で
どうしようもない人間の伝記が
本屋に並んでても面白いんちゃうかな
まぁ、買いたくはないけど