■9/3(木)
昼過ぎに起床
17:00から図書館のバイト
この日は仕事がホンマに進まんかった
・・・
その後にっしー、岸さんと3人で晩御飯
にっしーが修論の現地調査の時に見つけたという
『マルクチ』という多国籍料理の店
確かに変わった料理が多い
結構たくさん食べて
結構な出費になってしまった
最近は夕飯にお金を使い過ぎとる
今の生活じゃ節約は難しい
・・・
その後は研究室で作業
何時に帰ったかは覚えてへんけど
帰宅後にふと思い立って
部屋の掃除を決行
床や机やソファーに散らばって積み重なった本を
揃えて片付けるだけで
見違えるほど綺麗になった
・・・
■9/4(金)
この日も昼過ぎに起床
17:00から図書館のバイト
大学内のとあるサークルが
新型インフルエンザに集団感染したらしく
アルバイトの学生は
マスク着用を義務付けられている
・・・
10数年ぶりに着けたマスクは
なるほど効果が抜群で
外の空気を一切通さない
喋っていると口元が蒸れてきて
次第に息苦しくなって
思わずマスクをバッと外して
外の空気をいっぱいに吸う
そんな本末転倒なやりとりが
バイトが終わるまで続いた
・・・
帰宅後、準備を済ませて
車に乗り込み
武生ICから京都へ向かう
別に眠気はなかったけど
何かについて考え込むほど脳みそは万全ではなく
ただただ、ぼけっと運転していた
・・・
■9/5(土)
日付が変わったぐらいの時刻に
四條家に到着
朝まで少し寝てから出発、という予定やったけど
色々考えた結果
もう寝ずに出発する事になった
目的地は安藤忠雄が手がけたアートの島
・・・
いつものように
やいやい話しながら
交代で車を運転し、西へ西へ
午前中のうちに宇野港に到着
フェリーで直島へ
土日という事もあり乗客は多い
何となく島のイメージ的に
奇抜な格好をした芸大生なんかで
ガヤガヤと溢れかえっとるんかと思っとったけど
高齢者の多さが意外やった
・・・
かつて直島では
例の観光ブームによって
キャンプ場なんかが造られていたらしい
しかし業績が思わしくなく、撤退
その後「直島を文化的な空間にしたい」という当時の町長らの意向を
ベネッセハウス、地中美術館という形で
安藤忠雄が具現化し、現在に到っている
前々から行きたいなーと思っていた場所で
でも散々後回しにしていた場所でもある
・・・
あくまで素人の持論やけど
自分にとって近代芸術、アートの類は
己を映す鏡のような感覚がある
何かの作品と対峙して、じっと見る
もうその時点で
自分の頭の中で
面接のようなモノが始まっている
「意味が分からん」と簡単に突き放したり
逆に、理解してやろうと躍起になり過ぎたり
結果的に分かったフリでしかなかったり
芸術に対する、自分の発想の平凡さが剥き出しになったり
でもそれを認めたくなかったり
そんなあれこれを繰り返すうちに
誰かから『不合格』の烙印を押されていて
器の小さい自分がそこにいる
そんな空想、或いは妄想が
毎回毎回アタマの中で繰り返されているのだ
興味はあるけど
そういう試されている感覚がどうしても嫌で
何となく今まで避けてきた分野
直島に上陸してすぐに
ベネッセハウス・ミュージアムに向かう時にも
変なプレッシャーは残っていた
・・・
足を止める
作品を見つめる
タイトルに目をやる
作品と交互に見る、その関連について少し考える
部分部分に視線を移す
近づいたり、遠ざかったりして見る
目を凝らしてみる
焦点をぼやっとさせてみる
だんだん分からなくなる
誰にでも作れそうやな、と邪推がよぎる
無意味なものに思えてくる
でも展示されてるからには、多分無意味じゃないんやろな、と考え直す
じゃあなぜ無意味じゃないかと考える
何コかの仮説が浮かぶ
自分の中で一番有力そうな説に思考を集中させる
無意味に見えるものに意味を持たせている『何か』について考える
また部分部分に視線を移す
何か考えていた気がするけど、それを忘れる
関係ない事に意識がいく
隣の人は作品のどこを見ているのか
あっちにいる人は作品を見て、何を思うのか
視線は作品に向けたまま、さらに思考は脱線する
そこで我に返る
また作品をちゃんと見る
思考が進んでいない
少し発想を変えてみる
自分がこの作品を見て、何か分からん事に対して
作者に直接聞けば教えてくれるんやろか、とか考えてみる
そりゃ作者やから事細かに教えてくれるはず
や、でも全部は無理かも
作者自身も言葉で表現できんから作品に意思を託したわけで
そもそも作者が言葉にしても
自分が理解できるかは未知数なわけで
じゃあ何か1つの作品を
他人が完全に理解する事はできんのか
そういう事自体が野暮なんか
作者は「理解して欲しい」のか、「考えて欲しい」のか
それに対する答えを作者は用意しているんか
もし後者やったら
なんか後出しジャンケンのような
理不尽さを感じずにはいられない
や、でもそれが芸術なのか
もし仮に、その作品の作者の感情、意思が自分に100%伝わったとして
「今君が考えていることを作品にしてみなさい」とか言われたら
どんな形のモノが生まれるんだろうか
全く同じものが出来上がるんか
さすがにそれはないか
でも大勢に認められている芸術家は
その作品にある程度の普遍性があるはずやから
同じコンセプトなら
それに対するある程度の完成形を形にできるはずで
その形にする技術が優れているから芸術家なのか
そうなると…
ん、でも…
1つ1つ作品を見る度に
そんな感じで思考がぐるぐる回る
これ以上書くと
キリがないので辞めとくけど
そういう風に、内容はどうであれ一般人に悩ませることができるのが
近代芸術の意味なのかもしれない
・・・
その後は
オブジェに囲まれた海岸や
河和田アートキャンプを思い出させるような
空き家プロジェクトを回った
中でも忘れられないのが『南寺』
現代美術家ジェームズ・ダレルと建築家安藤忠雄のコラボレーション作品
・・・
ネタバレになるけど
『南寺』は建築の内部構造そのものが
ギミックを持ったアート作品
まず中に入る
何も見えない真っ暗な空間を
壁伝いに更に中に進む
手探りで見つける椅子に腰掛けて、そこで待つ
すると真っ暗の空間にぼやっと何かが見えてくる
人間の感覚の『慣れ』を利用した空間
・・・
「真っ暗」から「ぼやっと何かが見えてくる」までの間は
10分ぐらいのタイムラグがある
その時間は、五感を奪われているせいか
やけに長く感じる
目の前に見えるものは何も無い
おそらく生まれて初めて体験する、その感覚の中で
10分間とは思えないぐらい
頭に色々な事が浮かんだ
・・・
今日食べた昼飯の事、修論の事、明日の予定の事
近い将来の事、最近読んだ本の事、去年の夏の事
お金の事、携帯の電池が切れそうな事、友人の事
何だか気になる、あの人の事
・・・
なぜか
半分以上は
いや8、9割方は
「あの人の事」しか考えてなかった気がする
変な妄想ではなく
ぼやーっと同じ事を考え続けていた
・・・
南寺を後にして
四條氏にその事を話すと
彼も同じように
気になる女性の事を考えていたらしく
「お前もか!」とケタケタ笑った
ヒトは考える事を唯一許された生き物やけど
それを以ってしても、やっぱり生き物でしかない
・・・
明日また回る所を確認し
フェリーで一旦宇野港に戻る
情けなくも
南寺での煩悩が
しばらく尾を引いていた
・・・
車で倉敷へ移動
ビジネスホテルに荷物を置いた後
駅前を少しぶらついて
『先発』を安い丼モノのチェーン店に決め
まず小腹を満たす
(これは飲み代節約のために編み出した秘策
最初に選ぶ安っすい店を2人は『先発』と呼んでいる
『中継ぎ』『抑え』で高いモノを食べるのだ)
・・・
『中継ぎ』の居酒屋は正直イマイチで
少し食べてから、すぐ出る
厳選した『抑え』の料亭で
一軒目と全く同じモノを頼んでみた結果
クオリティの高さに愕然
その後も、秋刀魚の刺身、車海老、生シャコなど
絶品としか言えない海鮮料理に舌鼓を打つ
地酒も一級品で会話も弾み
大満足で店を後にした
や、ホンマにまた行きたい
・・・
ホテルに戻って就寝
ベッドで寝るのは何ヶ月ぶりやろか
・・・
■9/6(日)
倉敷からまた宇野港に向かい
フェリーで直島へ
ベッドでぐっすり眠れたおかげで
体力も万全
・・・
この日は
地中美術館を
時間をかけてゆっくり回った
安藤忠雄の奇抜な設計もそうやけど
ジェームズ・タレル、モネ、ウォルター・デ・マリアの3作品は
何かを感じずにはいられない、そんな威圧感があった
・・・
直島を後にしてからは
高速で京都まで車をぶっ飛ばす
四條宅でゆっくり酒を飲んで就寝
・・・
■9/7(月)
直島での不思議な感覚のまま
車で福井へ
できるだけ下道で帰ろかな、と思っとったけど
そんなに出費は変わらん事に気付き
普通に大津から高速に乗った
・・・
帰ってからは
ぼーっと本を読んだ後、即寝
そういえばあつみさんから
飲み会の誘いがあった
でも京都やし、どうしようかな