天晴れ! 地球防衛軍のブログ

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すみません、ブログのUP が
空いてしまいました。



武田信玄がいかに家臣をよく
見極めていたかを示す例と
して次ののようなエピソード
を紹介します。



以下プリント抜粋です。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

天文十四年(1545)五月、
武田家の柱石ともいうべき
板垣信形は人々の反対を
押し切って、小笠原長時・
木曾義高を無謀にも攻め、
大敗した。



信形の軽率な行動に武田陣中
では批判が集中し、
冷笑する声もあった。



本人も屋敷に蟄居(ちっきょ)(自宅謹慎)
して罪に服す覚悟でいた。



だが信形を呼んだ信玄は
最小限の損害にとどめた。



信形の手腕を逆に評価して
大きく包み、″まわりの者の
たわ言など意に介するな
とねぎらい、元のとおりに
用いたという。



信形の勇猛ぶりを見極めて
いた信玄は、一度の失敗
ぐらいで責めを負わせる
ようなことはしなかった
のである。



また、信玄は他国を攻め
取ったならば、その土地の
領主を味方として抱え、
人々が困窮しないように配慮
したという。



このようにすべての人が活躍
できるように心を配っていく
のが″大将″の慈悲心
である。




細かいことであるかもしれ
ないが、リーダーは家臣の
一人一人のことを的確に
つかんだ信玄の思いやりの
深さを学び取らねばならない
と思う。



また、信玄は精強な軍勢を
つくりあげ城を築かなかった
信玄は堅固な城といっても
守るのは人であり、要はその
結束と士気に極まると
考える。



厳しい軍律のもとで、
一糸乱れぬ軍行を起こし、
敵を破ることに力を注ぐこと
こそ、築城以上に大切な
ことだ。



そして城にこもるのではなく
外に打って出て、外敵を国境
で食い止めれば、領民が戦禍
に遭わずに安心して生業(なり
わい)を営めるようになるとの
信念が信玄にはあった。



更に信玄は治山治水に
努めた。



甲斐の国は昔から水害が多く
特に甲府盆地の被害が甚大で
あった。



釜無(かまなし)川に築造された
信玄堤(しんげんつつみ)は
現在も残っている。



また、二つの川の流れを
ぶつけあって水勢を相殺
させるという斬新な工法は、
「甲州流川除」(こうしゅう
りゅうかわよけ)といわれ、
独特の治水の方法として歴史
に名を残した。



信玄が心血を注いだ治水工事
が、甲府盆地を四百年に
わたって水害から守ったので
ある。



このように信玄は、平素から
領民を慈しみ、規律を正し、
領民から信頼されるように
努めた。



慈悲の名君・信玄を慕って、
甲斐の領民は食事のさいには
必ず「館君」(やかたぎみ)と
と称(とな)えたほどである。



また信玄は「万事小さいこと
より、次第次第に組み立てて
いって、後に大事が成るの
である」との信念を持って
いたようだ。



ものごとの理をきちんと弁え
て、鋭い人間洞察のうえから
「小亊が大事」と、とらえた
のである。



こうした信玄の生き方は、
今日の社会にあっても、
相通ずる原理を含んでいる
ように思う。


プリントの抜粋は以上です。



信玄の言葉に「人は城、
人は石垣、人は掘、情けは
味方、仇は敵なり」があり
ますね!



戦乱の世にあって他国は
堅固な城を築いている中に
あって武田信玄は城を持たなかった。



勝敗を決する決めては、
堅固な城ではなく、人の力や
特徴を掴み、家臣の才能を
十分に発揮できるような集団
を作ることが大事ではないの
でしょうか?



また、慈悲を尽くすことや
誠実な態度こそが相手の心に
響き、人を惹き付けることに
繋がることになるのでは?



だからこそ、他国を攻めても
その土地の領主を味方にして
領土を大きくしていったと、
思います。



信玄は一族、家臣達を信頼し
励ますために用いたとされ
ます。



慈悲は国を繁栄させ、
仇を増やせば国が滅びる。



人間関係でも敵をも味方に
付ける慈悲、誠実さ、智恵が
必要ですね。



今日は以上でございます。



長文になりましたが読んで
くれた皆様に感謝。



ありがとうございます。



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