天晴れ! 地球防衛軍のブログ -2ページ目

天晴れ! 地球防衛軍のブログ

ブログの説明を入力します。

皆さん元気ですか~!!


元気と笑顔があれば何でもできる!!


今日も生かされている事に感謝!!


ここ数日、私物の断捨離をしていました。



そうしたら、まだ20代後半の
時に人生の先輩より戴き
ました武田信玄の生きざまの
中で「甲陽軍艦」より一部
抜粋したプリントが出て
きました。



読んでみると、いく星霜
(せいそう)の時を経ても
変わらない物事、
変えては為らない道理を
感じましてUP する事に
しました。



以下プリントの内容です。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

武田信玄は戦国時代にあって
傑出した英雄であり、
大武将であった。



かの上杉謙信との十二年間に
わたる五回の川中島合戦も、
最終的には信玄が勝利を
収めたといわれる。



また天下を取った徳川家康や
かの織田信長も、信玄を恐れ
一目(ひともく)も、
二目(ふたもく)もおいていた。



徳川家康は、作戦でも政治面
でも信玄の戦略、政策の影響
を多くうけていたと言われて
いる。



武田信玄の偉大さは、
さまざま論じられるで
あろうが、大将の条件の一つ
として「慈悲をわすれぬこと
が肝要である」と教えていた
ことは特筆すべきであろう。



戦略や作戦を論ずるだけでは
なく、慈悲を肝要としている
ことに注目したい。



武田流軍学をまとめた軍書に
「甲陽軍艦」がある。



信玄の老臣の遺記をもとに
江戸時代初期に集成された
ものである。



内容すべてがそのまま信玄
当事の史実とはいえないが
信玄の振る舞い、精神をよく
伝えているといわれる。



その「甲陽軍艦」(筑摩書房)
(日本の思想9所収)に次の
ようにある。



「惣別能御大将(そうべつよき
おんたいしょう)は、武辺の儀
申スニ及バズ、文有りて
慈悲ふかし、行儀能
(ぎょうぎよく)してつねは柔らか(やわらか)なれども、
いかり給ふ(たまふ)時は殿中
事はさて置きぬ、
一国の内にて泣く子も啼き
(なき)さすほど威光
つよし・・・・
能(よき)大将は行儀よければ
義理ふかし。



「義理深ければ分別有。
分別あれば慈悲有。
慈悲深ければ、縦生付候
(たとひうまれつきそうろう)
て様子はそゝけても、静に
してそれぞれに人を見知りて
つかい給(たま)へば一人
として恨申(うらみもう)す
べき様なし。




現代語訳↓↓↓↓↓↓↓↓

すなわち、総じて優れた大将
というものは、武道に優れて
いることは言うまでもないが
学芸についてもたしなみが
あり、慈悲が深い。



礼儀を弁(わきま)え、普通に
おだやかであるが、いったん
怒ると殿中はもちろん、国中
の泣く子も泣き止むほど威厳
がある、というのである。



また、優れた大将は礼儀を
弁(わきま)えているから、
義理を重んずる。



義理を重んずるから、
分別がある。



分別があるから慈悲深い。



慈悲深いから、たとえ外見が
粗暴な性質にみえても冷静に
それぞれの家臣を見極めて
召し使っているので、
一人として恨みを言う者は
いない。



と述べている、すなわち
信玄が「慈悲ごころ」を
強調したのは、情け深く公平
な大将の下にこそ人は集まり
強兵は育つとの確信に起因
する。



そして、武道のみならず
文武両道、更には立派な人格
が大将に備わってこそ、
人心が掌握され一糸乱れぬ
行動ができるといっている。


プリント内容は以上です。



どうですか?


皆さん、戦国の世だけでは
なく小さいところでは家庭、
職場、人間関係にも役にたつ
と私は思いました。



私も心がけと行動をしなくては
・・・・・



三方原の戦いで武田軍の
勢いに押され敗走する
徳川家康が余りの恐怖に
大便を漏らしたエピソードは
有名ですね!


家康は浜松城を開城して松明
を焚き明るくして戦う意欲を
無くす意思表示をして、
それに気付いた武田軍が、
浜松城を攻めずに、
長篠の戦いに向かいます。



後に家康は、大便を漏らした
ことを家臣に尻ミソじゃ~
と言ったといわれています。
(笑)




また、三方原の戦いで敗走し
脱糞した姿を忘れないよう
絵師にその姿を描写して
生涯忘れないようにした
ようです。




話しはもどり武田信玄の
家臣対してのエピソードは
次回に更新します。


今日は以上でございます。


長文になりましたが、
読んでくれた皆様に感謝。


ありがとうございます。


※愛=感謝※


=☆合掌☆=