友だちの姪っ子が

家計の都合で

進学はさせてもらえないって

友だちが話していて


わたしも

進学させてやる余裕がないから

働いて、と言われた高三の夏を思い出した

担任の先生も

とても大学進学を勧めてくれてたんだけど

 

まだ幼い妹弟が居て

ボケて世話が大変すぎるばあちゃんがいて

アル中な父がいて


大学に行きたい、と

母にはとても言えなかった


勉強には興味ないから、と 

就職をしたけれど

学園祭に誘ってくれた友だちと見た

キャンパスはとても、キラキラしてた


今なら思う

あの時もっと真剣にたくさん考えてたら

進学する術もあったのかも

ただあの時

もし家から出ていたとしても

残した家族への罪悪感は大きかっただろうな


今は色んなことを調べることが出来て

たくさんの情報も知れるから 

その中で自分にとってのベストを

選択してほしい


子どもたちにはいつも

選べる人生を送ってほしいと思ってるし

選択肢は学べば学ぶほど増えるよ、とも

常に伝えています


東京に来る、ということは

子どもたちにとっては選べない選択だったから

この先

どこに住むか

どこでどんな仕事をするかの選択は

子どもたちの、意思です


自分で選ぶということは

人のせいにしない

できないということだから


誰かのせいで諦めた人生は

2人には送ってほしくない


いまわたしは

好きなものを好きなように

選んで生きています