№84 合角ダムから旧倉尾中学校への廃校ぶらり⑧-弐2
2020.9.19

 

 ⑧の続きです。  左の写真で終わっていました。 この撮影場所から右に50度ほど振り返ると右の写真。坂道に立ってサツエうしているので、写真の右側に体育館があります。さて何の風景かというと「校庭」でしょう。中学校の校庭としては狭く感じられますが山の中では地形的にこれでも広く確保できた、そんな場所に学校を建てたという事でしょう。もっと狭い校庭は、これも廃校となったときがわ町立椚(くぬぎ)平小学校です。今後紹介しますが、校庭から眺める山並みは自然の中の学校を体感させます。

   

 そしてふれあい坂の記念碑を少し上がった所から撮った写真。校名のプレートは外されていますが立派な校門です。上がってみたところもう木が茂っていましたが平地がありました。校舎が立っていたところでしょう。少しでも条件のいい場所を利用して、校舎、校庭、そして後に体育館を建てたのでしょう。

 色々思いを馳せるにつけ生徒が通っていた時の学校を訪れてみたいと思うのは私だけではないでしょう。

 「ふれあい水」は中学校より更に山を登ったところにある。よく紹介される「毘沙門水」より先の水。観光化した場所よりこんな方が好きだから載せてみた。昔からこの地区の生活用水として利用されていて、道路拡張工事で枯れてしまうかと思われたという。現在も現役でホースから勢いよく水が出ているがそのまんまの日常。私の感覚してはもったいない。バイクで結構な坂を登ってきたが、【自転車は一列で 倉尾中学校】という標識が立っていた。下りもブレーキかけ続けで怖いが、この坂をほんとに登ったのか…。平地に住んでいる私など、入間川にかかる八瀬大橋を渡るのも息が上がるのに。旧倉尾中学校について理解を深める貴重な発見となった。

 さて、バイクの旅て見つけた倉尾中学校はこれだけではない。藤尾体育館(旧倉尾中学校)、毘沙門水、丸福商店(林道長久保線との分岐)、を下り日尾地区に入る。右に「小鹿野町ふるさと館」を見て少し進むとある。小学校の校舎らしきもの、体育館は県道282号に

接しているのですぐわかる。駐在所が目印だ。その小学校を見に行って発見。おれは持っていると思った一瞬だ。

  

  旧倉尾小学校の裏に発見した。沿革碑から変遷を想像してみよう。昭和22年創立。人数自然豊かな地理から、小学校地に倉尾中学校の分校を設置。昭和26年本校、分校を統合し倉尾に新校舎を作る。

 これが先に紹介した校庭と校舎跡地だろう。そして平成4年この新校舎に移ることとなる。

 因みに、藤倉、日尾の地名は現在も残るが、碑にある町村合併の言葉よりたどってみる。

 

・1989年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、藤村,日村が合併し秩父郡倉尾村

 成立する。

・1956年(昭和31年)3月31碑 - 小鹿野町、三田川村と(倉尾村が)合併し小鹿野町を新設す

る。

 校舎の写真、は職員玄関方面から撮ったのではないかと思われる。写真には写っていないが小山の掲げに玄関らしきものがある。現在この校舎は高齢者のデイケアー施設として利用されているので撮影ははばかれた。その下は生徒の駐輪場だ。確認できると思うが、気の横板にある白いものは利用者の苗字が書かれた懐かしい赤や青の色枠のラベルシートだ。今も読み取れる。

 それにしても、採光を考えた設計なのだろうがしゃれた校舎だ。これも小山に隠れて見えないが各階のベランダは鉄格子ではないモルタル?に装飾のあるものだった。(写真は後掲)

 平成13年度をもって生徒減により廃校、小鹿野町立小鹿野中学校に統合された。

 

 このすぐ前に隣接して旧倉尾小学校がある。

  

左 職員玄関方面       教室 下に児童玄関が見える 体育館 多分校庭 中学校と共有だろう。

 旧倉尾小学校には沿革碑が2種類建立されている。一つは開校100周年を記念して建てられている。

 写真では読み取りずらく、編集するのも厄介なので、主に伝えたいことを一部抜粋します。

前書きにはこうある。

【明治5年学生が頒布され当倉尾においては明治6年9月、藤倉、日尾両地区に小学校を設置。自来両校相まって100年の歳月に渡り倉尾教育の伝統をつちかい時運に即し発展隆昌して今日に至る。

 昭和45年4月東西両小学校が統合し小鹿野町立倉尾小学校が設置され昭和46年5月新築校舎完成す。時あたかも創立100周年にあたるのでここにその沿革の大要をしるしその足跡をとどめる者なり。】  以下 記の中から一部を紹介する。

・明 6.9.7   日尾小学校(菩提寺)   ・明 6.9.1   藤倉小学校(寺院 民家)

・明 19.?.1  修進学校日尾分校    ・明 19.4.1  修進学校(長泉寺)

・明25.4.1    倉尾村立日尾尋常小学校   児童数 49

・明.25.4.1    藤倉尋常小学校        児童数  49 

 

   2001.3.14 埼玉新聞

 2つ目の沿革碑は昭和45年以降のもので、一つ目の隣に設置されている。平成16年度を持って廃校、小鹿野小学校に統合された。

 合角ダムの先にこのような文化のある地域と歴史のある学校があったことを大切に記録しておきたい。

 一応ここで倉尾中学校は終了。

 学校沿革史は永年保存なので廃校についても教育委員会には保管されているだろうが、現在のネット社会ではもったいない気がする。

 学校は地域の期待を担い地域と共にあったことを考える時、教委に紙で残っているだけではいかがなものかと思う。

 今統廃合が進み当時の姿が見られなくなり、地域の人々の記憶から遠ざかりつつある。統廃合の大きな原因は児童生徒数にあるが、地域と共に教育を担った学校の歴史は、そういう学校があったということは人々の記憶に残しておきたいものだ。

 学校の歴史には地域の歴史を共に担った歴史があると思うからだ。詳しくなくてもいいから沿革史や当時の写真、閉校式程度の正しい情報は誰でも見られる公共の意図のある情報があった方がいい。

 旧倉尾中学校の情報がネットの情報で分散、断片的なのは教育委員会の地域や地域の歴史、地域の教育史について無責任なのが原因なのが分かる。

 沿革史の中にある町村合併の歴史、その影響による統合の経緯を示していない為他の地域から訪れた人の理解が断片的になってしまっている。単に児童生徒減のみが理由ではない。市教委のHPに写真付きで掲載するなど大した手間ではないはずだ。

 時がたてば建物は朽ち、雰囲気は薄れ、人々の記憶からも失われてしまう。

 自分の生まれた地域の歴史を、学校の果たした役割やそこで学んだ児童生徒の様子と共に理解することは、地域を大切にするために大切な事であろう。地域の歴史に、それが地方であればあるほどが学校が果たした役割、地域の人々と学校が歩んだ歴史はより深いものと考えるからである。

 私は、いくつかの廃校を訪ねているうちに、ただただ少子化だけが統廃合の理由だけだとは考えなくなってきた。

 それは何かというと、高度経済成長時以来、価値観が狭くなり、多様性の無さが進み、多様性を認めることも、多様性を自負する環境もなくなってきているからではないかと考えるようになった。

 人口の一極集中が祖の最たるもので、経済が国際化し、貿易が盛んになりより安い外国産を大量輸入し利益を上げる産業構造となり、昔からの産業、職業では生活が困難となり所謂地方から人、若者が減ってしまった。

 地域の学校で学び、共に育ち、地域一員として地域を担った人々がいること、その人たちを大切に思うことが、地域の歴史を正しく伝えることになると思う。 

 地域をつなぐ282号から体育館、校庭、校舎をつなぐ坂道に「ふれ坂」と名付けた職員、保護者がいたのですから。 

 

参)小鹿野町倉尾中学統廃合問題titibu.sakura.ne.jp/giin/kurasetu.htm

-キャッシュ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

№83 合角ダムから旧倉尾中学校への廃校ぶらり⑧

2020.9.13

 

 ずいぶん時がたってしまったがやっと書く気力が出てきた。仕事で疲れて休みはバイクに乗る元気も失せ、暑さのせいもありゴロゴロテレビを見ながら過ごすことしかできなかった。早くバイク日和の時がくればいいと思うが… …

 

 さて、合角ダムを過ぎトンネルをくぐり県道282の一直線を川沿いの山の景色を眺めながら進むとポツンと「丸福商店」にたどり着く。埼玉にもこんな店や景色があるのかと貴重な思いでと手残っている。右に行くと以前に書いたように本格的な林道になる。左に行くとどうなるか、以前は林道に入るよりもすぐに道が狭くなりUターンも困難になってしまうのではと思った。写真から想像できるように山肌に沿って道がありね左側はチョッとした崖の下に川が流れる環境だ。この先に中学校があったなどとは想像もできなかった。

 

 ところが左折して少し進むと少し開けた土地がしばらく続き住宅などが山里の風情を残しながら建っている。

 

 地図検索で282号をたどっていくとその様子が分かる。そして景色を眺めながら走っているといきなり左側に現れたのがここれ。

  

 

 

 嘗ての職業柄体育館であるのはすぐに想像できた。しかしすぐに止まることができずとりあえず先に進んで帰りに寄ることにした。近くによると体育館に校章と倉尾中学校の表示。ガードレールの下は水量のある清流。その右の写真の橋の欄干には「中学校橋」と記されている。そして右がトンネルる乗用車一台が通れる手彫りと思われるトンネルがある。現在はその隣に片側一車線のトンネルができている。プレートには「かなゑ」とんねるとある。新しいのは「新要トンネル」だ。

 Yahoo!地図で調べるとトンネルと共に体育館の確認ができる。地図には「藤倉体育館」とあるが、それは中学校の統・廃校後小鹿野町・藤倉地区の社会教育施設となったためだろう。

 さらに興味に沿って近づいて思いをはせてみよう。

  

 

 

 中学校橋のバス停の所には当時の生徒の学校生活の記憶が残されている。右は今の体育館玄関。プレートは倉尾中学校体育館とある。右ドアの張り紙には小鹿野市の担当課の文書がある。水漏れが発生しているため、使用後は必ず元栓を閉めるように、と。がしばらく利用されていないようだ。中は見えないが下駄箱のくつや掃除用具が雑然としている。生活、利用の後が見えることはいいのだが、学校の施設でもあり、教育施設であったのであればもう少し何とか、もう使われないもの風に放置してしまうのはいかがなものかと思う。悪さをする者がてな手のがせめてもの救いだ。卒業生たちも同じ思いなのではないかと想像する。

 その体育館の玄関右には校歌の歌碑がある。この後の写真を見ればわかるが傾斜地に縦長に作られており(多分)道路際にある体育館は新しいものだがが、校門は別にあったようだが学校の玄関にあたる。地域の自然歴史を担い、学校や生徒に対する願いを地域と共有するためにここに雪駄したものであろう。

 

  体育館の横の道を少し上がった所から坂道を写してみた。右に石碑がある。石碑には「ふれあい坂」とある。由来は草に隠れたところに示されている。学校に対する親子にわたる愛着、親しみのようなものを感じ取れる。

 さて、校庭だったと思われる写真を載せようとしたがコピーできないので今日はここまでとします。

 続きは後日その弐として、№84で別に投稿します。

 

 

 

 

  

 

 

№100 アベ辞任の感傷的感想を評価としないために

 

2020.8.30

 

 河野談話を見直すことを公約に二次政権に。戦後の憲法解釈を内閣が変更し安保関連法案強行採決。朴の弱体化に乗じ慰安婦日韓合意を当事者頭ごしに突然発表。森友・加計疑惑。移民難民関連法を十分に議論を尽くしたとの時間切れに持ち込み強行採決。更に野党にした記された問題については後で省令で定めると。安保【関連法】と同じ。安保では関連10の法令を一括で審議するという暴挙だ。法の秩序とか法の体系を破壊する戦後日本の法治国家としての歴史を破壊する暴挙。桜を見る会の私物化。公職選挙法違反を実施要項の曖昧さのせいにして未だに実施要項の改正?もしていないし。まだまだいっぱいある。

 

 恥ずかしいアベのマスク。衛生用品でありながら異物混入など問題のある国税を大量投入して、しかも回収点検をまたこれ国税をつかう。こんな製品を作る会社を選ぶこと自体問題だが、製品のチェックをどこまでしたのかしないのか、そんな不良品を国民に配る信じられない感覚。更に批判を浴びたにもかかわらず8月木中ごろには福祉施設などに又配ると言って批判を浴び希望のある所に配ると手のひら返し。私たちの収めた税金はどう扱われているのか。

 

 次の大臣がたれになるにしろ、アベの残した未解決課題は確実に引き継いでもらわなければならない。何もコロナ対応をやって安倍政治の幕引きとはならないはずである。7年8月の総括を具体的に行い長期政権の功罪を明らかにして引き継いでもらわなければならない。 テレビでは総裁選の方法など憶測、想像で放送されているがある意味どうでもいいことで、誰が残念ながらある駒で回していくしかないのですから。ですから7年8月の総括をきちんと、ある意味では自民として、公明として、野党として自己批判をしたうえで覚悟を持って引き継いでもらわねばならない。それが出来なければ空白の7年8月になってしまいかねない。

 

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 新・ことば事情

6505「安倍内閣の最重要課題」

 

「安倍内閣の最重要課題ありすぎ問題」

というツイッターが流れてきました。それによると、

「教育再生は我が国の最重要課題」(平成25年1月31日参院本会議)

「震災からの復旧復興は、安倍内閣において最重要課題」(平成25年2月7日衆院予算委)

「福島の復興は政権の最重要課題」(平成25年2月19日参院予算委)

「安倍政権の最重要課題であるデフレ脱却・経済再生」(平成25年10月17日衆院本会議)

「農業の活性化、これは安倍内閣の最重要課題」(平成25年10月21日衆院予算委)

「復興の加速化は、安倍内閣の最重要課題」(平成26年1月29日参院本会議)

「魅力あふれる地方の創生は、安倍内閣の最重要課題」(平成26年9月30日参院本会議)

「拉致問題の全面解決は安倍内閣の最重要課題」(平成26年10月1日参院本会議)

「全ての拉致被害者の日本への帰還、帰国、これは安倍政権の最重要課題」(平成27年7月30日)

「最重要課題である郵政三社の株式上場を成功」(平成27年8月10日衆院予算委)

「女性活躍は、一億総活躍社会の中核として引き続き安倍内閣にとって最大のチャレンジ」「これを政府の最重要課題として強力に推進したのは、第二次安倍政権が初めて」(平成28年1月26日衆院本会議)

「教育を内閣の最重要課題として捉え」(平成28年1月27日参院本会議)

「働き方改革は、安倍内閣の最重要課題」(平成28年9月28日衆院本会議)

「テロ対策は最重要課題」(平成28年9月29日衆院本会議)

「子供の貧困問題は、これからも安倍内閣の最重要課題」(平成28年11月28日参院本会議)

「内閣の最重要課題として地球温暖化対策に全力で取組」(平成29年3月1日参院予算委)

 

たしかに、「最重要課題だらけ」です。

ただ、「平成25年(2013年)」から「平成29年(2017年)」までの「4年間」ですから、その間に「最重要課題」が変わることはあり得ます。問題は、

「過去の『最重要課題』が解決されているかどうか」

という点ですね。そういう意味では、

「道半ばで、解決していない問題ばかり」

なのは問題です。

「最重要課題は、毎日増える一方」

だと申せましょう。

もう一つ問題は、「重要」課題はたくさんあっても、それはその通りだと思うのですが、

「最重要」

をこうやって「連発する」ことで、

「実はその問題を、本当に『最重要』とは考えていない」

ということが、バレてしまうことです。また「最重要」という言葉を多用することで、「その言葉の価値が低減」

してしまします。そして、信用を失います。

一生懸命取り組んでも、すぐには解決できない課題だからこそ「重要」であることは理解します。その通りだと思います。しかし「本当に取り組んでいる」のであれば、

「途中経過を、しっかりと報告しなければならない」

それをせずに、「新しい課題」を次々に見つけていくのでは、

「国民の目をそらしているだけ」

で、「ウソつき」と言われても仕方がないのではないでしょうか?

「最重要課題に一つ一つ誠実に取り組み、着実に解決してくれる」

そういう人に、日本の政治をお願いしたいと思います。

(2017、10、9)

2017年10月12日 18:17 | コメント (0)

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№82 合角ダム と 旧上吉田小学校に行ってきた

   

 以前にもバイクで行ったことがあった。2回目はコロナで休館されていたので、又県道沿いの家並みの雰囲気を味わいたく。又旧倉尾中学校に行ってみたく。

 川越からはこうだ。県道川越日高線で霞が関小東わ右折。川越線を渡り信号左折。すっ飛ばして圏央道をくぐり日高高校の前を過ぎ高橋たまごを右に見て、太平洋セメントの巨大建物を左に見て、後は適当に鎌北湖へ。ここで一休みが定番だ。

 そして元来た道を戻るが、同じ道ではつまらないので1キロほど下ったところのゴルフ場入り口のカーブを左折。一山超えてT路路を右。長閑な風景を見ながら下っていくと埼玉医大の先11/3の流鏑馬で有名な○○神社近くの確か毛呂本郷の交差点。左折してできる限り、良心に沿って飛ばす。

 都幾川町役場の交差点を左。適切に飛ばして西平の交差点を右。又山道に入り松郷峠をクリアし松郷峠入口のT字路を左。少し行くとカーブ入口左にガススタンド。道なりにさいたま高原牧場をめざす。

 横道に逸れるが川沿いに左折する、子どもが小さいときに川遊びに来た、とどん詰まりに「館川砂防ダム」がある。 まだ途中 これだけ大きな砂防ダムは見たことがなかった。

    2020.7 撮影

右には東屋があり、当日はシニア夫婦がマットや蚊取り線香を用意して涼みに来ていた。観光スポット巡りでは味わえない貴重なスポットとして大切にしたい。

 さて元の道に戻り、なかなか合角ダムにたどり着けないが、住人に配慮しながらコーナーを責めながら自身のライディング技術を高める。牧場は吹き上げてくる風が涼しく、右には堂平天文台、空気が澄んでいればスカイツリー、スーパーアリーナ、筑波山や埼玉の平野を望むことができる。ベンチに胡坐して水分補給しながら休憩。

 そして秩父方面に坂を下る。T字路を右に、左に三ツ沢小を見て飛ばす。道の駅皆野をめざす。皆野長瀞インター入り口では、何の取り締まりか、いつもパトが何台かと捕まった車がある。道の駅を通り過ぎ140号を渡りね左斜めに下る。目指すは秩父鉄道親鼻駅。ノスタルジーを味わうためよく立ち寄る駅だ。

 川越線的場駅も幼稚園、小学校の時はこのようだった。小学4.5年まではSLが走っていた。

 さて、踏切手前を皆野病院方面に右折。道なりに荒川を渡り皆野高校を右に今度は一本道をひたすら。道の駅龍勢会館を右に見てひたすら進む。この先秩父市上吉田あたりの昔ながらの家並みはなんとなく心落ち着くものがある。

 次の写真は帰りに撮ったものだが「なんだかぶらり廃校の旅」好きの私としては紹介➆として紹介せざるを得ない。

   2020.8撮影

 校門には「秩父郡 吉田町立 上吉田小学校とある。校庭から体育館、校舎を見る。右は音楽室。渡り廊下があるので行ってみると

   

 下右の写真は HARIKYU´S  PHOTO  CLUB ブログより借用

 音楽室と同じようなトーンの建物が見える。特別教室か調理室、給食室などか。行ってみたかったが草が生い茂り無理だった。

 右は取り壊されてしまった校舎。その場所に今は上吉田のデイサービスセンターが建っている。

 上吉田小学校の沿革についてHARIKYU´Sの画像より地名等確認し記すこととする。

 明治6年5月   久形万福寺を仮校舎として東上田学校を創立。

           塚越正福寺を仮校舎として西上田学校とす。

 大正5年9月   宮戸に校舎新築。児童生徒入校す。

 昭和34年10月 女部田に統合校舎竣工    (おなぶた 日高には女影という地名がある)

           本校と塚越文分教所児童入校す。

           12学級、449名

 平成16年3月 吉田小学校と統合するにつき閉校す。

          平成16年3月31日  吉田町長  猪野 正一 謹書 

       上小閉校記念事業実行委員会建立  石工  (有)日本石材 

 

  沿革からはお寺を仮校舎として創立されたのが分かります。寺子屋の歴史があったからなのでしょうか。事実川越では仮校舎とは違いますが 菓子屋横丁の近くの「養寿院」(寺)の愚鑑という僧侶が盲唖教育を始め、その後県立盲学校(現塙保己一…) 大宮ろう学校、大宮の分校から坂戸ろう学校の前身となったとされています。

 また現在は廃校になっていますが旧私立熊谷理療技術高等盲学校の校長中村春吉は川越出身で現塙保己一で学んでいる。

 私のblogでも「なんだかぶらり廃校の旅」て旧飯能市立北川小学校を紹介しているが、この学校も近くにある「金昌寺」に仮校舎を建て始まっている。 慈眼堂と本堂の間に仮校舎を建てていたという。  

 また、結構大きな学校だったことも解ります。         疲れたので延期

 

 そしてやっと合角ダム。走りもダムもそうなんですが、主な目的は展示室の写真を留めておくことでした。 

 

    2020.8撮影 

 ダムの放水をしたから眺められる。ダム堤防から上流「合角漣(さざなみ)大橋」方面

ダムには県道71号の「塚越」信号のある交差点を左折すると上段右写真右下過度の道に出る。先の白い塊が管理事務所・展示室。白い線が写真を撮った堤防。この後赤っぽく映る橋を渡って「旧倉尾中学校」に向かう。

そして合角の由来は写真をクリックして読みにくいですが確認してみてください。

   ダムの中に消えた嘗ての風景ですね。集落、河野掃除をしている人、木材を運ぶ(橋もいいです)、大きなブタです、鍬を持ってカメラに笑顔を見せる(白いのはニワトリ)、籠を担ぎ歩く高齢?女性。右写真は地形と沈んだ集落。右上左は神主。花段右は漣橋を背後に水が張られる前の思い出のピクニック写真です。

 さて次は合角ダムから旧倉尾中学校の廃校ぶらり⑧です。                  完 

 

 

 

№18 長雨で苦しんでいるうつ病の人たちへ

 2020.7.31

 

 令和2年7月豪雨といい、先日の山形最上川氾濫といい、日本の気候はおかしくなっていますね。関東の梅雨明けも未だ。川越では昨日午後一時明るくなったようですが今日も朝から雨か曇天という状況です。

 私自己紹介で書いた通りうつ病にかかり想起退職したものです。被久しぶりの投稿になりますが、長雨が続き朝いつも曇天雨が以上に続いているので書いてみます。

【季節うつ】

 病気休暇をほぼ3年撮り、家のローンの目途が付いたところで退職。以降もつらい日々を過ごしましたが、苦しみながら過ごす中で、通常の症状とは別に、季節によりうつ症状が続くことが分かりました。

 具体的には10月中頃~12月末ごろまでです。原因は日の出の時刻であることが分かりました。

 「冬季うつ」とか「季節性うつ」と言われているようですが、私の場合はうつ病になりましたが、年を重ねることでこの季節に常態的に気分が落ち込み、不安が続くということが分かってきたという事。わかってからは10月が来るのが怖くなったり思い症状が続くことに不安を覚えるようになり、更に落ち込むという症状になってしまいました。

 定期通院はしていて薬も処方されていました。通常の通院では眠れているかとか、外に出ているかとか、散歩などの運動に出られているかなど話をする中で、「日の光」にあたることでメラトニンやビタミンDの話を聞いていました。また、日の光が目から入ることによる効果も聞かされていました。

 その為季節うつの日照時間と共に【朝目覚める時の日の光】があるか、ないかが気分にも影響するのではないかと判断するようになりました。

 そのことをドクターに話し薬の種類、量など話し合いをすると共に、次年度の10月に向けて「症状の確認をする」ことと「薬の処方について具体的に相談する」こととしました。

 この判断の後は少し気分が楽になり、つまり服薬について自分自身で判断したり、相談できる基準・目安のようなものができたからです。

 以降10月の迎え方、12月までの症状を自分で見てうつ病の改善度の診断判断をするようになりました。

 

【日の出時刻】

 で、この時期につらかったのは朝目覚めるとまだ暗いので「目が覚めると暗いのでウッとして布団の中で固まる」という事でした。

 「季節うつ」は全体的な日照時間の問題となるのかもしれませんが、私の場合きつかったのは夕方・日の入りでは特になく、朝起きた時の日の光が無いのがきつかったということです。

 明日8/1の日の出時刻は

 川越は4時50分 沖縄は5時55分 北海道は4時25分 これだけの差があるのに気づき改めてしました。その経験の中から私は雪国では生活できない、と実感的にある恐れを感じながら理解しました。

 次は川越市ではなく埼玉県になりますが日の出時刻です。

 10/1 5時36分 11/11 6時4分 12/1 6時33分  12/31 6時52分 これだけの違いがある。私の自覚としては目が覚める時の日の出の問題と理解しましたが、当然日照時間も連動しますのでうつ病の理解としては「季節うつ」「冬季うつ」と言うことになるのかもしれません。が個人的にきついのは朝目覚めの時日の光がないことという事。高少し細かく説明したいが今は諦めます。

 で、日の出時刻は冬至後も短くなるのですが、12月末頃から気分は少しずつ明るくなります。その理由は

 自分の判断ですが皆さんも感じるかと思いますが、正月前あたりから火の光、太陽の光が明るくなるのを感じられる、事が理由だと判断しました。正月あたりの穏やかで温かい日の光を感じる人はいると思います。

 

関る【睡眠・よく眠れていますか】について

 ドクターからよく聞かれた内容ですが、私の特徴はいろいろな状況で朝目覚めてしまうと言うことです。

 私酒が好きなので服薬中もドクターには黙って毎日飲んでました。酒の楽しみを除かれればもっと悪くなると考えたし、ナシの生活は考えられない、受け入れられないと思ったからです。   自己責任ですのでマネしないでください。

 で私の睡眠の問題は朝早く起きてしまうということです。勤務中は3時、4時に目覚めてしまい、出勤のための目覚ましが鳴るまで眠れず悶々と過ごすというもの。このストレス、具体的にはうつの原因は仕事にあるわけですから、一方で寝られない・寝なければならない。一方でストレスの原因である仕事が逃げようもなく近づいている。一方で睡眠不足の影響が仕事に出ないかという不安、という3方ふさがりで寝られないので逃げようがないといううつの典型的症状です。

 それは休職中も続きました。また、目覚まし時計が鳴る前に目覚める。更に具体的には使っていた目覚まし時計は電池式でしたがベルが鳴る前のカチッという音でめが覚めてしまう。大きな音ではないし、カチッからベルが鳴るまでに01秒かからないと思うのですが、カチッで目覚めてからベルを聞くという絶望的。過敏の現れ方がこんな症状に。

 又新聞配達のバイクの音。今はそういうことはなくなってますが、こうです。私の家は県道から指導に入り3.40m入った曲がり角の先にあります。敏感の表れで絶望したのはバイクが市道に左折したところの音で目覚めてしまう。T新聞とY新聞が曲がるので先に来るT新聞で目覚め次のY新聞は1時半後です。Tの後うとうとしても又目覚め、寝られなければ紋々としてY新聞を布団の中で固まったまま迎えることになる。

 休職してからは通勤のストレスが無くなり和らいできました。

 話の筋がぼやけていますが、日の出時刻が問題になったと考えるのは、私の睡眠の問題もあるのでしょう、という理解です。

 being  updated 

【長雨でル死んでいる人たちへ】

 で、しりすぼみになりますが、長雨のこの時期、個人的に気分転換になったことを2つ紹介します。

 一つはテレビ。テレビの映画です。情報やバラエティーは何を意味ないことを言ってるんだとか心を乱したり耳に入ってこないことが多かった。で映画になったのですが見方の工夫をすることで映画に集中することができたということです。

 その見方とは画面に近づく。具体的には自分の視界とテレビの枠が重なるようなイメージで見る。集中・持続して見ていられる。ので気持ちが安定している時間を持てる。

 人の情報受け入れの能力の7~80%は視覚と言われていて余計な刺激を除ける、とか視野という曖昧で刺激を受け入れられやすい環境・目をきょろきょろ、を制限できるためかもしれないと思っています。

 視力やブルーライトなどの別の健康面の影響もあるので十分検討してください。

 その後手元に置いてあった大江健三郎、安倍公房、高橋和巳などの本を読む子ことができるようになったのはその後しばらくしてからでした。

 2つはホームセンターです。雨だと外出や散歩は濡れてしまいますのでそれだけでストレスになります。それで済めばいいですが曇天、雨天の憂鬱は、外出できないことが新たなストレスを呼び起こし自分を追い詰めることもあります。

 で、外出できるのであれば、車を利用できるのであれば、ホームセンターに行く、です。

元々いろいろなものを手作りすることが好きだったことも大いにあると思います。ですから参考までに…

 行ってみると膨大な商品があり、家にある物もこんな部品でできていて、粉に物までも売っているのか。業者に頼んで高い金使わなくても自分で修理できるじゃないか。こんな改造でよりか快適に使えるのでないか。などいろいろと前向きなことを考えることができた。ということ。

 売り場も広いので1時間では終わりません。自宅から通える範囲にはセキチュー、スーパービバホーム、ケイヨーD2など日替わりで行ける。冷房、暖房はきいているし、曇天の薄暗さ~解放され明るい環境で快適に過ごせる。大型電気店のように店員から声をかけられるというストレスの心配がない。

 これはおすすめです。通い詰めると同じ高齢の人と何度もあったりするので、利用する価値は有るのではないかとも思っています。十分、自分のペースで自分の思う通りに歩き回ったり時間を使ったりします。雨でもいい運動にもなります。

 こういう経験を通して気づいたことがあります。半ドン土曜日から週5日制になり休日は増えましたが、自分の時間をどう使っていたかということです。家族もありますので自由に使う時間は制限されますが、土日が休みでも、知らないうちに自分の興味関心、やりたいことをとても制限していたということです。 そのことに気づいたという事。自分のことを新たに理解したような思いと共に、少し気持ちが楽になったように感じたことを覚えています。   completed

 

 

 

№99 新型コロナ感染に関る政治、報道他に文句あり

 

2020.7.11

 

 新コロナ対策については政府も都もマスコミも何を考えているのかさっぱりわからない。今の状況をどう理解して、今後どのような危機が想定されるのか、そのためにどのような対策が必要なのか、全く不明だ。

 昨日あたりからは、マスコミでは感染者数だけが独り歩きして国民の不安をあおっている。東京都の感染者数だけの発表は無責任だとか、マスコミの報道の仕方に反省を求める情報番組・コメンテーターも出るほどの愚かさだ。 政府も都も信頼するに足りないのは前からだがアブナイ状況がはっきりした。

 もっとも感染者数だけいち早く発表し、都民・国民の不安を煽り、都民・国民に感染防止の為に三蜜だ消毒だ不要不急の外出を避けるだとか、「自粛」という言葉が、使えなくなったから(自粛要請には補償が伴うから)国民におっかぶせているだけ。具体策を示せないからそうしているとしか思えない。

 うがった言い方をすれば、対応を国民におっかぶせておけば都合が悪い状況になった時責任を軽減できる、批判を弱めることができる、と考えてのことなのとも理解できる。

 例えば小池が「夜の街」「新宿」「池袋」「ホストクラブ」などと言ってるのは自分に不都合な状況を作っている納税者に文句言っているとしか思えない。だからどうする、ということが言えない。私はこのことを、政治屋としての自分の身を守るための【敵を見付けて生き延びる政治】と言う。愚かにもアベの政治手法とよく似ているよ。

 そして菅は、東京の感染者数が増えたことに対し定例記者会見で「緊急事態宣言を出す状況ではない。病院の別途数もひっ迫した状況ではない」と言っている。が、それはアベが自慢した「日本モデルの力」のことか?つまり日本はPCR検査を受けられる人数を加藤厚労大臣の言う基準ではなく目安で「医療崩壊を防ぐために」極端に制限し

経験からの発言なのではと思ってしまう。つまり何の危機も持っていず、持ってはいない、アベは緊張感をもってとしか言っていない、モグラたたき政策で多数決の力で(?)乗り切ろうとしているのだろう。

 さて、前置きはいいかげんにして

 

 7/10(金) 小池は記者会見で感染者数とPCR検査数との関係について、7/10 243人(前日224)昨日と同じ内容を繰り返した。

 「過去の最高は209人(4/16)で検査件数は919。今日は243 でも現在は検査数は3400。検査件数が増えれば感染者数は増える」増えたのはその理由であると言ってのけた。

 でも皆さん思い出して下さい。二か月程前の話。保健所始め国民の殆どはPCR検査を受ける基準は

〇37.5が4日以上  〇倦怠感  〇濃厚接触者  〇高齢、基礎疾患等  

 それを5月始め加藤は「基準ではなく目安だ。誤解だ。何回も文書で通知した」と発言。5/9のことだ。

 基準?を正式に変更した?(37.5が4日以上を削除)のは5/11だったか。

 つまりそれまでは、具体的には医者が患者の感染の不安を訴えても、問答無用でこの基準?に沿う人のみを先行して検査を受けさせていた。それは政治家もマスコミも多くのコメンテーターも言っていたはず。PCR検査は正確度に問題がある。被検査者を増やせば医療崩壊になると。

 具体的とな例としては、さいたま市保健所の例も記憶に新しいはずだ。所長がこういったのだ。【病床が満杯になることを防ぐために検査を厳しくした】と。4/13日の話だ。誰の為の政治であり保健福祉行政であり公共機関なのか。国民県民都民の税金が原資であることを思いっきり知らせるべきだ。

 小池は夜の街に繰り出す20代、30代(小池はそう言っているが、感染者の傾向がそうなっているのは発表資料に沿ってはいる。)の問題として、データだけで世の中を理解しようとしている、理解できると考えている、自分は都知事で偉いし忙しいので市井の都民のことなど見ていられないと思っているのか。

 テレビ放送を見ていると飲み屋でテーブルで対面で、当然マスク無しで酔っぱらって大声で楽しんでいる20代、30代以上の人を何人もみてきた。

 視野が狭いということは、物事を正しく理解できない、一面的に理解してしまう、一面を見逃した考えをしてしまう、自分の判断が正しいかどうかの自己評価の機会を失う

 

 そして古小池に言いたいのは、現在、民間も含めPCR検査数が増えたデータと、基準?に沿って被験者者を選定していた時とは単純に比較にならないという事。そんなことは、たかが二か月前のことと現在のこと。そんなことも覚えていないのか、記憶には残っているが関連付けて理解し正しい政策を導き出すことができないのか。

アベと同じで、非客観的なデータのつまみ食いで自分に都合のいいことを根拠なく、物事の理解を誤ったまま言い張る、データの自己都合利用政治だ。

 マスコミもマスコミだし、緊急事態宣言や東京アラートが解除されたからと言って夜

という事。

 7/10の会見で小池は具体的にこんなこと言っていた。「グラスの回し飲みは控えてほしい」と。恥ずかしげもなく、どこまで愚かなのかとのけぞりそうになった。

 なぜかというと、まだ20代、30代の若者。パーティー。そしてホストクラブを敵を見付けて自信を守ることから抜け出せないでいる証拠だからだ。 レベルひくぅ~

 

  まあ、其れにも増してアベと政権は現実を正しく理解しないまま、近い将来に責任を取らないまま経済にしがみついている。令2年度補正予算で散々馬鹿にされたGOtoキャンペーンだ。可決されたのは遅い遅い6/12だ。長い時間かけてコロナが収束もしていないのに終息後の経済回復に、明日の生活に困っている国民が多数いる危機だ、というのに、アベは歴史的緊急事態だと言っていたのに内容は…

・GO TО Travel  ・GO TО EAT  ・GO TО Event  ・GO TО 商店街 キャンペーンだと。

  コロナの現実をどこまで理解してこんな夢の子におとぎ話おままごとのようなことを考えているのか。そもそも、コロナが8月に収束していると考えること自体が非科学的、非理論的な政治思考だ。残念ながらコロナは多数決、強行採決など関係ない。て、そのTravelを8月の予定を前倒しして7/22からやるんだって。

 小池はコロナ対策で何回も西村と会談しているが何話してんだろうか。小池は都をまたぐな他県に行くなと言ってる。西村は経済を委縮させると言ってる。小池は夜の街夜の街といってEAT、イベント、商店街を批判している。しかも東京と近県はこの状況だ。それでも前倒ししてやる。プロ野球、サッカーは昨日5千の観客だ。問題、心配は管理された球場内でなく、一会場に5千の人が他都県から集まり集まり、試合後に食事をしたり、祝勝会をしたりして、感染を拡大する心配だろう。小池もさんざん言っている。何故小池は何も言わないのか。口先だけの言行不一致か。

 

 

 で、資料を残しておこう。 拡大してコメント内容を確認して下さい。

 

 〇東京の感染者数(NHKより)        〇国内の感染者数(Yahoo Japanより)

 

※ グラフが違うので比較しにくいですが、東京都と全国の感染者数の推移は傾向は似ているのが分かる。同じものをと思ったのですが、コピーできず載せるのあきらめました。「新型コロナウィルス感染症まとめ」で東京も見られますので是非確認して下さい。 being  updated 

 同じく埼玉県の感染者数も載せようと思いましたが同じ理由であきらめました。同じ傾向が見て取れます。 で、それを受けて次のグラフを紹介します。

 

 「直近10万人あたりの感染者数(都道府県別)」です。上記Yahooジャパンで全部見られます。

7/3~9のデータです。地図を見ると一目瞭然デスね。関東圏と近畿圏が目につきます。関東は東京、埼玉が色が濃い。近畿は大阪、京都が色が濃く、つまり感染者数が多く、周辺が色が薄くなっている。全国を見渡すと地域としてまとまって感染が広がっているのはこの二か所です。これは小池の訳の分からない基準の無い、つまり分数のわからないような説明、感染者数の説明、現在と当時の違う基準?で選ばれた被PCR検査の感染率をごちゃまぜにした誤解と違い、人口の違う都道府県ごとに出しているのでなく、「10万人あたり」と基準を示している。

 次に下の都道府県毎のデータで、10万人当たりに換算した感染者数で確認してみて下さい。

 being updated 

 二大経済圏で、東京、大阪から関東、近畿圏にコロナの感染が布に水かしみていくように広がっているのは誰の目にもデータからも明確である。

 しかし、都も国も無策だ。具体的なはなしが全くない。都民国民に今まで道理の自粛?依頼?しているだけで自分の責任を、仕事をしていない。

 

 

  両方ともYahoo Japanより

 アラート解除の客観的根拠も示されないまま、基準の無い新指標を示し、アベがよく使う総合的判断という言葉で、時の政権が都合のいい理解のし方、独自の解釈でどうにでもなるものにしてしまっている。

 

 経済が回らなければ明日の生活の不安のある国民がいる。生活の為に受け子を始め逮捕された人もいる。生活困窮者を狙いブラックバイトのサイトが多数みられるという。長期間休校になった学校の児童生徒・学生の学習の遅れをどう取り戻すかについても文科省から国民に分かるようなコメントは無い。

 更には令和2年豪雨によって日本の社会、経済には更なる打撃を受けている。復旧どころか未だ災害が継続している中、GOto Travelを前倒しし7/22~実施するというのが政権の考え方だ。

 特別市域のある高野連主導で地方ごとに予選会をし、夏に甲子園で試合。マスは喜んで放送していたが、野球だけいいのか、大阪を中心に近畿圏でコロナが蔓延している現状で本当に実施していいことなのか。何故辞退する都道府県は無いのか。小池が批判する、緊急事態宣言を解除したとたん夜の町をエンジョイする20代、30代の若者?と同じではないのか、と投げかけるマスコミはなぜ無いのか。

 昨日テレビで菅の北海道での講演の様子が映っていた。緊急事態宣言の再発出は考えていないか、の質問に菅は「PCR検査を徹底的にやっているので問題は無い。考えていない」という内容であった。

 馬鹿じゃないかと思うし、質問した記者も何故突っ込まないか不思議でならない。検査をするのは何の為かっていう小学生でもわかる初歩的なことだ。検査をして、実態を明らかにして、蔓延防止、第二派に対応する為の課題を同解決するかという方策を導き出すためだ。

 これもアベ政権の思考劣化の象徴だ。よく言われている手段が目的になっている。国会も日本も末期症状になっている。

 菅は、その前の日には「病院はひっ迫した状態ではない」と言うのが宣言不要の理由だった。アベは重症患者が以前に比べ少ないので宣言の必要は無いと言っていた。

 やれやれだぜ 久しぶりのblogがこんなことになってしまった。 

 

追)学校の毎年のインフルエンザ対策 

  国、都他のコロナ対策は私にはどうなっているのかさっぱりわからない。

   原則は学校における毎年のインフルエンザ防止対応にあるだろう。もう一度原点に立った上で、経済の必要も考えることがもう一度確認の意味も含め、混乱した時は原点に戻るという原則に帰る必要があるだろう。

 学校は、多くの児童生徒が集団生活をする場であり、感染が拡大するという危機がある。更にが学校を由来により各家庭、地域社会に蔓延させてしまうという危機も持っている。

 その為

 学校ではインフルエンザが発生した場合は学校医に報告し指導を受け、保健所、教育委員会に報告することになっている。

 基本的蔓延防止の考え方は『持ち出さない、もらわない』

 〇第一段階 感染症による出席停止

  インフル感染が発症した場合、学校保健安全法等に沿って校長は出席停止の手続きをし命じる。

 出席停止の期間 発祥した後5日を経過し、かつ、解熱した後2日を経過するまで。(期間を示しているので、【まで】出席できない。発症、解熱日を0年て計算します)

 ウィルスの潜伏期間は以前2~5日と勉強した気がしますが、今調べると感染後1~3日で発症する都なっているようです。昔出席停止期間は解熱後2日を経過するまで、でしたがタミフルやリレンザ(現在は別の新薬あり)などの即効薬が開発され他ので平成23か4頃が学校保健安全法が改正された。理由は解熱2日後もウィルスが残っている症例が見られたから。

 潜伏期間の登校、解熱後の登校がウィルスをまき散らすことになるからです。

 

〇第二段階  感染症による学級閉鎖

 学級内の発症者が一定の割合(学校設置者である県、市町村で定められている)校長は学級閉鎖をする。一段階を経ても増えてしまった場合です。感染しても発症していない児童生徒がいることが考えられ、爆発的感染、更には様々な学習集団により学習している、長時間の集団生活の実態から学年、学校に蔓延する危機があるため。

 学校生活中心の学級から他の学級に持ち出さない、他の学級がもらわないため。

 学級閉鎖の期間 適切に定める

 

〇第三段階  〃 学年閉鎖

  学年に蔓延 他の学年に持ち出さない、他学年がもらわない

 

〇第四段階  〃 学校閉鎖

  学校に蔓延  校内のみならず地域に持ち出さない 地域のがもらわない

  いずれも児童生徒の健康、安全を守るための対策です。

  児童生徒を国民に置き換えるべきだという事。

 

 さて、ここで落としてならないことは、出席停止、学級、学年閉鎖等は経済にも具体的に関るということです。

 どういうことかというと、自分の子どもが発症して出席停止になった場合、子どもを面倒見てくれる人がいない場合、保護者は一週間仕事を休まなければならないことになる。シングルマザーの場合を考えれば明白。

 しかも雇用形態が正社員であれば、ある面助かりますが、パート、契約社員、日給月給制などで有給が無い場合は一週間分の収入が減るという経済危機に直面することになる。

 その他にも、現在子どもの貧困率というのは『7人に一人』と国が発表している現実です。アベは3月の学校休校の独自判断に関って、契約社員には有給を使ってほしいと言って無知と現実を知らない人柄にあきれられていましたが、一か月どう過ごすのか全く当事者に対する忖度ができていない。

 例えば、自分の子の学級が閉鎖になった場合、自分の子どもが元気であっても、『放課後児童クラブ』(通称:学童保育)にも通わすことができないことになってしまうのです。学級に蔓延した児童は発症していなくても感染している可能性があり、学級の児童が通うことにより放課後児童クラブ内に感染を広げる可能性があり、複数学年が通うため学校全体に広げる危機があるからです。

 アベ政権は学校を休校しても放課後児童クラブには通えることにしましたが、何故そうしたのかの説明もないままでした。

 つまり、家計という経済にも直接影響するわけです。

 だから予防が大切なわけです。発生した場合の早急、具体的対応が求められるわけです。 

  今後関東圏から広がる危険もあるわけですから関東をが学校に置き換えて考えることが必要だ。

  

 

 

 

 

 

 

№99 アベノマスクはアベは裸の王様

 2020.5.17

 

  

 

          

 左

は御存じ桜を見る会の挨拶の画像。何ですかこの態度。とても功労者を顕彰する会の主催者とは思えない姿ですよね。サマラを見る会の実施要項の内容が不明確だとか急遽今年の会話中止とした後アベは言っていたが、どこが不明確なのか分からない。実施要項が不明確なのでこんな会になってしまったと実施要項のせいにして、中止の理由を実施要項のせいにした張本人の態度だ。そして今後このようなことの無いよう… …、これがアベがこれまで何度も、森友も加計もでとぼけてきた問題のすり替えの手法だ。

 しかし会の主旨を捻じ曲げ私物化した本人の子の姿は、まさに裸の王様にふさわしい。それにしてもアベ本人もアベ事務所も何でこんなことできるのか不思議でならない。通常の感覚ではできないはずだ。公職選挙法、政治資金規正法にも抵触することなのに何で?下関の後援会の皆さん。ホントはどうなってたの。あなたたちの為に新宿御苑の開門も早めてバスを入れられるようにしたのは誰? 友達以外の一般国民をなめた行為を何故できるのか、平気でとぼけられるのか困った人物である。

 

 中

 誰か秘書だかなんかが「マスクを2枚配れば国民は大喜び」とささやいたのを真に受けてやってしまった466億円?の税金使って。しかも小さいし不良品の返品続出。今も問題になっているが、妊婦用マスクは配布した1割に異物混入などの不良品があったというのは検品もせずに業者が国におろしたということになるだろう。しかもマスクは衛生用品である。口、鼻に直接触れる、ウィルスを放出しないよう何度もマスクの中で息をはき吸いするものである。こんなもの配って一般の会社なら全品検査で契約者からは損害賠償を求められるケースだろう。自分の人気取りのためにこんなもの国民に配ったということだ。国民をバカにした国民とも思わない誰の為の政治家も理解しない人だ。

 そして私が配ります、と自慢げにつけて会見してしまったものだから、一時不織布マスクをしたが引くに引けなくてつけ続ける羽目になってしまった。

 

 右

 そして右が37.5度が4日はPCRを受けられる目安であって基準ではない。誤解だ発言で有名な担当大臣。一昨年は働き方改革で都合のいいデータ利用、文書隠蔽でも有名。そういえば当時は拉致問題担当相でもあった。本当に残念な議員だ。あんなこと言って何故平気でいられるのか不思議な人でもある。その厚労省が賛成した咳エチケットについてのポスターだ。

 今日サンキューカットに行ったら貼ってあったので笑ってしまった。書いてあるのは『鼻から顎までをおおい、隙間の内容につけましょう』だ。小さいので鼻から顎まで覆えないしね小さいから横にも隙間があり息駄々洩れ。下も下唇が隠れる程度なのに息もつばも駄々洩れだ。厚労省とも不一致だし、そもそもなぜマスクをみんながつけるのかを理解していないことになる。

理解していれば国民に配ることはしないはずだ。国会議員は議論する、しゃべるのが仕事だろうに。

 しかもテレビを見ているとマスクがずり上がり鼻マスクになるので何度もマスク触ってずり下げる。親指をマスクの中川に入れてつまんで降ろすときもある。何なんだこの人は。何を考えているのか。コロナ災、危機をどう考えてるのか。何か自分だけは特別なのだろうか。それとも自分のこととして考えられないのだろうか。残念ながらそうなんだろう。コロナ補正予算で万円がどの規模になるか分からないのに「Go To」キャンペーンとか言って終息後の経済V回復を狙った膨大な金を分配する程の思考だ。自分の好きなことやりたい事の為の政治なんだろう。残念ながらミサイルや戦闘機では国民を救えないことがあるということだ。本人は気づかないだろうが。

 誰か言ってやればいいのに。そのマスクまずいですよって。でも誰も言えないのか、言わないのか、見て見ぬふりしているのか。せめて加藤は立場として忠告すべきだが、働き方改革法案の時も正義や国民を見ないアベ忖度政治屋となっていたので無理ですね。誰もアベノマスクつけてねェ。 国民の税金使ってお前らの元にもアベノは届いているはずだ。国民をバカにした話である。

    そう、だからアベは裸の王様

 画像は全てYahoo!画像検索より 

№30 東京МX モーニングクロスに➄言 児童虐待放送について

 

2020.5.13

 ひどい無責任放送でしたね。他の民放と違うスタンスをアピールしているようでしたが、結局民放のマスでしかないのではないかと確信しました。仕事があったので怒りながら出勤し帰宅して酒飲みながら書いてるんですが。

 その放送は何かというと、今日、2020.5.13のモーニングクロスです。

 緊急事態宣言の様々な悪影響を伝える流れだったと思いますが。事実として10チャンネル、モーニングクロスで視聴者に伝えたのは、期間中に児童相談所が扱った児童虐待件数が1~2割増加したということ。これに関わり介護福祉士の女性が何かコメントしていたが、だから何だというのというのが私の失望。

 元々東京МX、モーニングクロスは児童虐待について数多く放送していた。それが何だ今日の放送は。今までの放送がどんな理解の基に放送していたのかをさらけ出したというような意地悪く言えば、多極マスとは違う少し視聴率に拘らない雰囲気をアピールする為の放送だったのかと理解せざるを得ない空疎な放送だった。

 児相の児童虐待に関る相談件数が1~2割増ってだから何なまのさ。それだけで児相が責任を果たせたと思っているのか。それすらもコメントしない番組。1~2割増が実態なのかということに疑問すらも発言しない。

 コロナ離婚、コロナDVにもМCは触れない。休校自宅待機、何がステイ・ホームだ小池。お前の横文字使いは個々国民国民都民市民の苦難をはぐらかし自分のアピールの為に使っているという、アベの会見=演説と同じだという、事実を早く理解すべきだ。

 現場は1~2割増という問題ではない。現場つまり虐待の被害者だ。私が見たときは介護福祉士が涙目で上目遣いでカメラを見でМCがフォローしながら話勧めていたが

その後の放送内容は以上に書いたレベルを脱しない。

 そもそも児童虐待については、児相が関わっていたのに引継ぎがなされない、児童虐待の事実がありはてりょの必要なケースであったのに保育所が適切に対応していなかった、同様に小学校でもが津工が適切に対応していなかった… 千葉県野田市の栗原心愛さん虐殺事件についての裁判があったばかりなのにも拘わらず。それに触れもしないで、コロナ報道批判に例えていえば不安をあおる放送。

 違うんですよ。児相に責任を負わす放送を大切な電力使って放送したってしたって何の足しにもならない。それが原発発電利用してたなんてなったら目も当てられない。それが分かっていらっしゃるのか、なんとなく寄り添う雰囲気出してる2人は。

 具体的には、児相の問題というような視野狭窄的理解に基づく情報収集のみの無責任放送ではだめでしょう。

 緊急事態宣言で、もっと言えばアベの根拠なき1~2週間が山場発言により3/7~休校になった小・中・高・特支校、更にはならった保育所、ならわなかった放課後児童クラブ等々が児童相談所との連携、連繋ですよ連繋。児童虐待について児童相談所と関係機関は警察も含めて連携しているはずなんですよ。制度としてできているんです。でも千葉県野田市の栗原心愛さんのような虐殺事件は後を絶たないのです。

 制度が制度として作られているのに、制度として機能していない児童虐待についての重大性ついて理解できない専門家に問題が委ねられているということと、無責任体質が子どもたちの悲劇を生んでいることは明らかなはずなのですが。世間一般の批判のように、虐待の加害者を責めて加害者としての刑事罰を厳罰化しても問題は解決しないのは多分知っているはずですが。虐待の連鎖は様々な形態で、つまり親子以外の事件で背景に虐待、或いは親子以外の虐待の壱形態として今の日本にママ見られます。

 で結論から言うと、

休校等の期間が2月も続いているわけです。そこで被虐待児を預かっている学校や、保育所などが同非虐待児を守るために何をしたかしなかったのかという事。休校等が3/7~1月続くことに児相が何をしたかということが放送されなければならなかった。が、あの程度のウィークエンダー的。

 当たり前のことですが、学校、保育所、幼稚園が休みになれば、被虐待児にとっては虐待の加害者である保護者等と過ごす時間が増えるわけです。

 だから当たり前に虐待を受ける心配は増すはずですよ。児童虐待について何度も取り上げてきた番組ですから、そのあたりは当たり前に取り上げられるはずというのが、被虐待児の教育に携わった経験のある私としての理解です。残念な放送ですね。こんな放送を見ていないと思いますが、救われないですよ被虐待児は。

 私が嘗て勤務した学校では、子どもの様子から、長期休業に入るのが心配なので福祉課と連絡を取って見守りを厚くしてもらうよう依頼してもらえないか、と担任から頼まれ市役所に相談した経験もあります。それが本来当たり前の教員、教育者、被虐待児童をの教育に携わる教員としての当たり前の次世代を担う子供たちの教育に携わる者としての当たり前の責任と私は捉えています。それができていないから栗原心愛さんのような悲劇が起きる。そのことをモーニングクロスは理解していない。救われないですよ。こんなお気楽な大人たちのテレビ放送では。児童虐待について積極的に取り上げてきた番組であるからこそ、その番組としての本質、理解度、社会的責任は何だったかということの責任を追及されなければならない。

 数年前、学校退職後、私は川越市立保育所でパートとして働いていましたが、特別支援学校に勤務していた身としては悲惨というかなんじゃこれはという状況でしたよ。一つとしてこのブログに関することを紹介すれば、アル保育所ではいわゆる発達障害の幼児が入っていて保育士が対応できず困難な状況になっているという。更に、被虐待児を受けてれているが混乱は更に…という事。数年前の話ですが、家庭においておけば更に虐待がエスカレートして問題になりかねないので保育所に入れた。しかし保育所が被虐待児の対応ができないので、どうですかという事でした。考えさせてください、と言ったのに当時の所長は、遠いので、と断っておいたと言うので呆れた公共施設です。こんなことが平気で所長レベルでできるのでは福祉の支援が必要な家庭、子どもの立場に立った子育て支援などできるはずもありません。

 МCの皆さん。見てるところが違うんですよ。別に今のままでもいいですが、なぜ今のままでいいのかわかるように説明してください。でつまり無責任なのは、この児童虐待放送についても、介護福祉士の人にコメントを求めていることですよ。番組全体のコンセプトとしてNHKとか大手4チャンネルとかと一線画しているという立場かもしれませんが、ゲストのコメントの求め方も検証する必要があるのではとおもいますね。一線を画すと言いながら、マスカキになりかねないし他人に頼る責任逃れにもなりかねない。報道ですららね。その点は厳格に評価すべきですよ。

 例えば私がパートていじめ・不登校とう対応相談員として勤務していた所沢市立小学校での実態です。多分誰かどこかで発表された教授法と思いますが…。それは「友達先生」って言ってましたよ・

5年生。分数の足し算。イブン数を等分数にして計算する問題。回答を担任に持って行って〇をもらう。

解らない子どもは何回言っても〇をもらえないし、そもそも、答えが書けないので担任の所に行けない子もいる。すると担任が「友達先生」とか言って子ども同士で教えあう?理解できるはずもない理解?

担任は何故わからないのかねと世故に躓きがあって回答に至らないのか、わからない子供に対する思考は放棄したままです。結局と友達先生は正当は解っているわけですから、何が分からなくて回答できないかを理解できないまま政党(自民党?)わ伝えるしかない。教科の中可でも算数は特に系統性の教科です。わからない子は等分ということが理解できていない。「ある長さを等しく3に分けた2つ分」

「ある長さを等しく3に分けた4つ分」 等しく分ける基本の長さの理解。3/4の理解が出来ていなていので等分にするという抽象多岐な理解や操作は難しいわけです。そこで何が必要かというと下学年の内容に戻って再学習させる必要があるわけですが、そんなこと同級生にできるはずもありません。しかもできる児童は学習塾に通っていて学校の教科書より先の内容を勉強しているわけです。それらの児童を先生として差し向けるわけですから、わからない児童は耐えるしかないわけですが…。そんな気持ちをそんなことする先生が理解できるはずもないですね。まだ若い先生でしたが、特別な支援の必要な児童には全く対応ができず、学級は落ち着きがなく、掲示物を見ても問題を抱えた児童(問題は児童本人の責任ではないという理解からです)は見放された、象徴的なのはたわとーちー他市短期間のパートでしたが、職員室での保護者からのクレーム対応のの電話が多かったこと。結局管理職が初任者研修等年次研修を適切に指導できなかった結果ですね。制度としては初任者の指導教員が配置されていますが、いかがなものか、形ばかりで機を得た適切な指導はできていない。

 でそうですから、児童虐待防止については制度としては関係部所銃弾で組織づくりはできているのですから。

 それぞれが、それぞれの役割を理科介したうえで、今回の長期が学校、保育所、幼稚園等休業に関わり何を自らの責任として被虐待児の為に考えたのか、何をしたのかを放送すべきを自らの愚かさをろたー呈してしまった東京МX、モーニングクロス。

 モーニングクロス改め「朝に夢中」と番組名を変えるなど、番組コンセプトを考え直すべきだ。いらねえ

 

 

 

 

 

№81 なんだか閉校ぶらり⑥ 横瀬町立横瀬小学校

2020.4.5 

    

 飯能市立南川・北川小学校、横瀬町立芦ヶ久保小学校に続き4校目になりました。ただし閉校とは違います。

 写真を見れば歴然です。 あれれ 写真がとりこめない  一度登録したらОKになった どゆうこと?

 

   分かりやすい写真ではなかった。ので説明します。写真左 の中央付近が木造校舎。写真右はその木造校舎と隣には鉄筋の新校舎が建てられている。旧芦ヶ久保小学校は平成20年度、平成21年3月までは新旧校舎共存。児童が在籍していた。閉校になって多分芦ヶ久保小学校に統合されたのであろう。横瀬町には小・中学校共に横瀬・・一校のみである。

 飯能市立南川・北川小学校は平成5年度を持ってだったか鉄筋新校舎を建てられることなく閉校となり飯能市立吾野小学校に統合された。地形から言っても広い平地・校庭は無かったが。

 そうなんですよ。横瀬町の施策(やめた方がいいと思いますが、埼玉県の教員採用試験を受けようと思っている人読み方は? 学校教育法施行令は何と読みますか? 一般的には許されるかもしれませんが教育関係試験、面接ではだめです。施行と施工 ゼネコンまみれの国会議員は立法府にいても区別ができないひとがたくさんいる。国会中継や記者会見注意してみて下さい。何故かって?せこうれいっていう人いるから)くだらないことに行を使ってしまいました。何しろコロナの愚策、愚施策アベノマスクの真っ最中だ。国民の心が病みさせられているのです。

 で横瀬町の施策。あっぱれと言いたいですね。埼玉の誇りでもあり、貴重な文化遺産であるだろう。

 

(私が通った霞小・中は木造校舎だった。霞が関小学校は宅地開発が進み、特に旧角栄団地ができ校舎が圧倒的に不足。旧給食室を教室にするなどだった。霞が関北小学校を新設し一校分の児童が転校となった。2月の中ごろに移ったと記憶している。

 霞が関小学校は木造。鉄筋校舎の併用を経て木造校舎は解体。

その内旧東急団地ができ、北小で受け入れられなくなり新設されたのが初雁橋横の霞が関東小学校。その霞が関北小学校は解体。的場の工場跡地に新たに伊勢原団地に合わせ私立図書館など併設された教育福祉等等号されたエリアを作った。旧霞北小の後地は見る影もなく、有効に活用されているとは言い難い風景だ。突然〇年度卒業来卒業記念の蔵みたいのがなぜか建っていたりする。北小学校を卒業した私としては心の軋む思いだった。川越市の教育・文化政策とは、心の教育とはどんなものなのか。霞が関中学校も同小学校と同様木造校舎は無くなった。

 霞が関西小・中などは無かった。牧草地だったかそこにかすみ野団地開発により。100m越えの廊下が有名な川越西小や西中学校はここも団地開発にともなうものだ。人口動態調査を基に新校開設に取り組んだ担当者はさぞ大変だったろうと思う。が二世代三世代のちには何が残っていくのか受け継がれていくのか…)

 

話を元に戻そう。

     

いい佇まいですよね。

ですよね。窓の仕切りとか、しきりと全体的な色の調和とか…。いい。こういうこと一つ一つが、一つ一つを丁寧に仕上げることで、当然全体の調和が生まれる。こういうことが子どもたちの一人一人が情操を育むための缶性に働きかけるのである。温かみのある校舎である。物を大切にするとか、歴史を守るとか、保護者祖父母の校舎に纏わる話を聞くにつけ地域の歴史とか自分の郷土についてのも教科書にはない理解を深めるものだろう。右の立て写真を見ても次の写真を見ても児童の日常の学校生活に根付いているのが分かる。

 きっと屋根が見えるのも気持ちを落ち着かせ木造校舎の暖かさを感じさせるのかもしれない。瓦も手を抜いていない。何という瓦の種類になるのか。旧芦ヶ久保小学校の屋根瓦は少し趣が違っている。飯能の旧南川小学校の場合は、もともと鼠色の瓦屋根であったが、保存のための改修でスレート屋根になった。

 

          

左は玄関のガラスにカメラをくっつけて撮った写真。ストロボの光が入っている。がストロボにも負けない床のピカピカ。日常の手入れがしっかりしているのと、使ってはいるが毎日大勢の児童が使ってないのが理由か? 中が校舎を左回りに一蹴して左側の連絡通路から同様にガラスにカメラレンズをつけて撮ったもの。柱は太く木目木質を生かしている。旧芦ヶ久保小学校とはだいぶ趣が違う校舎になっているのが分かる。腰板と白壁の色のバランスが良くとても落ち着いた雰囲気だ。大きな窓の採光もいいね。北側の窓になる。

 そして最後右の写真。黄色い壁は体育館を兼ねたもので、「地域交流センター」と看板があった。旧木造校舎を残したように、学校が地域の教育、文化、福祉、それらを包括する地域の歴史を受け継ぎ残す拠点としようとしていることが伺える。

 そしてこの交流センターの造りも木造校舎とコラボしている。外壁の色は木造校舎とのバランスが考えての違う色だろうが、外壁は木製で作り方と同じだ。意味のある税金利用だろう。

 地域に根差すとか開かれた学校とか、地域の教育力だとか、自ら学ぶ力だとか、生きる力だとか、総合的な学習の時間だとか、20年前の学習指導要領改訂では呪文のように流行したが、あれは何だったのでしょうか。その場限りの社会的要請に振り回され、行き当たりばったりの学校教育は誰のためのものなのか。なかったことには決してできないはずである。英語、道徳… 一方でいじめは増え続け不登校、児童虐待も増え続けている。

 また話がずれてしまった。62の私にとってはとてもいいものを見つけた、見させてもらったと思っている。(因みに横瀬中学校は鉄筋校舎) 旧芦ヶ久保小学校も学校の校舎という教育e遺産としての価値を確実に保ちながらロケーションサービスに取り組まれたい。 

 

参)

    

  旧飯能市立南川小学校   同 特別教室 校舎      旧飯能市立北川小学校

                                       特別校舎は解体された

  

旧横瀬町立芦ヶ久保小学校

 

蛇) 我がハワイの鎌北湖の今と昔 堤防耐震工事の為水が抜かれた ヘラ釣りができない

     

 

 おぉぉっと、もと障害児教育従事者として大変な忘れ物。

横瀬小学校の近くには「寺坂の棚田」がある。その手前には川遊びの隠れ場所がありますよ。寺坂の棚田は武甲山を背景に我が郷土秩父の象徴的な風景だよ。温泉も近くにあります。実は日高、飯能、青梅に通じる飯能、秩父は埼玉の隠れた、まじめなマニアの為マスコミテレビから離れた、自分で見つける楽しみのの観光地ですから。 飯能南川。北川は季節で楽しめる学校です。埼玉の自然と文化の楽しみを見つけて下さい。国道299も以前は南川小学校の前を通っていたんですから。その頃は正丸トンネルもなかったんですから

 

 

 

№80 モスバーガーは青梅駅前に注目

      ホントは多摩周遊道路を走りたかったのですが

 

2020.4.5

 

 旧芦ヶ久保小学校に続き横瀬小学校を先に書く予定でしたが…

奥多摩湖、多摩遊道路に走りに行こうと思って行ったのですが 何と事故があったのかどうか左折したところすぐにオマワリが立ってて折り返しという状態。事故が多い道路なので大きな事故があったのか。パトがサイレン鳴らして入っていった。T字路には予定変更を考えているライダーが10人程。しばらくどうするか考えた後ねそのまま峠道を進み、ワインディングを楽しんで大月に抜け変えるかと進みました。いい感じで飛ばして行きましたが、大月方面の道路標識に×テープが張ってある。だめかと思っても一応左折して見たが曲がったとたんにバリアー。橋の土台、橋脚だったか、作っているので×とのこと。去年10月の台風19ノ影響なのだろう。仕方ないので川越に変えることとした。途中大月方面に抜ける道の標識はあったが右折する気にはならなかった。

 そもそも、なぜ奥多摩周遊を考えたかというと、19号の1週間ほど後だったか。秋の奥多摩と思いバイクを走らせていったところ採石場ダンプ入口の所で通行止めをくらった。昨日はマス釣り場は営業していたが、その時は灰青色の泥流が勢いよく流れていた。道にも山からあふれ出た雨水か流れ込んでいたものだ。

 で、昨日の思い出といえばこれ。青梅駅前のモスバーガーだ。

 ご覧いただきたい。あまり近くで撮るのはは、客を含め肖像権があるのでばかられたので見にくいが

    

バスの行先表示は光っていて見えないが青梅駅です。ここで休憩する場合はいつもこの場所です。椅子はあるしいつものんびり座れる。この左にも背もたれ付きの椅子があり、いつも恒例の人が旧けてしたりお茶飲んだりしている。トイレもモスの左側にある。

 中央はよく見ないとわからないですが、拡大すると見やすいと思いますが、ポストの左に見える人を見てほしい。

 確認したら小さすぎて見えないので、次のお客が店を出る時を待って撮ったのが左。退店するお客全てに見送りしたうえで丁寧にお辞儀をしているのだ。見ていると、その時に、お客以外にも知り合いなのか常連なのか、親しげに話しをしたり挨拶をしたりしている。地元の人がパートとして働いているから、とも想像できるが、見送りお礼は店のやり方だろう。楽しい店、眺めていていい店だなと思いました。是非地元に根差した店舗経営、とても自然な雰囲気でした、眺めてみて下さい。                                       完