№83 合角ダムから旧倉尾中学校への廃校ぶらり⑧

2020.9.13

 

 ずいぶん時がたってしまったがやっと書く気力が出てきた。仕事で疲れて休みはバイクに乗る元気も失せ、暑さのせいもありゴロゴロテレビを見ながら過ごすことしかできなかった。早くバイク日和の時がくればいいと思うが… …

 

 さて、合角ダムを過ぎトンネルをくぐり県道282の一直線を川沿いの山の景色を眺めながら進むとポツンと「丸福商店」にたどり着く。埼玉にもこんな店や景色があるのかと貴重な思いでと手残っている。右に行くと以前に書いたように本格的な林道になる。左に行くとどうなるか、以前は林道に入るよりもすぐに道が狭くなりUターンも困難になってしまうのではと思った。写真から想像できるように山肌に沿って道がありね左側はチョッとした崖の下に川が流れる環境だ。この先に中学校があったなどとは想像もできなかった。

 

 ところが左折して少し進むと少し開けた土地がしばらく続き住宅などが山里の風情を残しながら建っている。

 

 地図検索で282号をたどっていくとその様子が分かる。そして景色を眺めながら走っているといきなり左側に現れたのがここれ。

  

 

 

 嘗ての職業柄体育館であるのはすぐに想像できた。しかしすぐに止まることができずとりあえず先に進んで帰りに寄ることにした。近くによると体育館に校章と倉尾中学校の表示。ガードレールの下は水量のある清流。その右の写真の橋の欄干には「中学校橋」と記されている。そして右がトンネルる乗用車一台が通れる手彫りと思われるトンネルがある。現在はその隣に片側一車線のトンネルができている。プレートには「かなゑ」とんねるとある。新しいのは「新要トンネル」だ。

 Yahoo!地図で調べるとトンネルと共に体育館の確認ができる。地図には「藤倉体育館」とあるが、それは中学校の統・廃校後小鹿野町・藤倉地区の社会教育施設となったためだろう。

 さらに興味に沿って近づいて思いをはせてみよう。

  

 

 

 中学校橋のバス停の所には当時の生徒の学校生活の記憶が残されている。右は今の体育館玄関。プレートは倉尾中学校体育館とある。右ドアの張り紙には小鹿野市の担当課の文書がある。水漏れが発生しているため、使用後は必ず元栓を閉めるように、と。がしばらく利用されていないようだ。中は見えないが下駄箱のくつや掃除用具が雑然としている。生活、利用の後が見えることはいいのだが、学校の施設でもあり、教育施設であったのであればもう少し何とか、もう使われないもの風に放置してしまうのはいかがなものかと思う。悪さをする者がてな手のがせめてもの救いだ。卒業生たちも同じ思いなのではないかと想像する。

 その体育館の玄関右には校歌の歌碑がある。この後の写真を見ればわかるが傾斜地に縦長に作られており(多分)道路際にある体育館は新しいものだがが、校門は別にあったようだが学校の玄関にあたる。地域の自然歴史を担い、学校や生徒に対する願いを地域と共有するためにここに雪駄したものであろう。

 

  体育館の横の道を少し上がった所から坂道を写してみた。右に石碑がある。石碑には「ふれあい坂」とある。由来は草に隠れたところに示されている。学校に対する親子にわたる愛着、親しみのようなものを感じ取れる。

 さて、校庭だったと思われる写真を載せようとしたがコピーできないので今日はここまでとします。

 続きは後日その弐として、№84で別に投稿します。