暮れも押し迫った 昨晩

姉から 

義兄が息を引き取ったと 連絡が入った。

午前中 入院中の義兄の容態があまり良くないと連絡を貰っていたが

気持ちの整理が出来ないくらい 急な事だった。

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三が日 火葬場はお休みになるので 葬儀の日程は決まらず

連絡待ちの年明けとなる。

毎年 元旦だけ休業する勤務先のスーパー



今年も 変わらずの営業形態で

今日 私は 午後からの勤務シフトになっている。


昨年 仕事復帰後 暫くして


フロアースタッフから

生鮮持ち帰り品の作業場に仕事が変わり(定年退職された方の穴埋めで)


大晦日と 年明けは

通常の商品とは違う

大人数用の品物を


こんなに?!



と思うくらい作るのだが


それも 


こんなに?!


と思うくらい売れてしまう大晦日。


通常  午前2人程度 午後も2人程度で仕事を熟すところ


年末は 


ロングパートさん1人


私を含む残り5人 ショートパート全員出勤


たぶん 今日は 少し延長勤務になるだろうな


年明け 2日、3日は 早出となる。



姉達が まだ彼氏、彼女の頃から


可愛がって貰った私にとって


この2年間で



叔母夫婦に続いて義兄まで


大切な身内を失うという現実は


かなり厳しく


仕事で気持ちが紛れることが


逆に有り難く感じる。


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義理兄のことを少し話すと


昭和に人気のあった


兄弟デュオ


狩人の お兄さんに激似


そして 


高田純次さんを彷彿とさせる


いい加減さ😆


ただ


面白い 余計な事は山ほど言うけど


気分を害すような 余計な事を 言われた記憶はない


姉とは


姉が 義兄を○○さん←下の名前


義兄は 姉を

◇◇子ちゃん と ずっと名前で呼び合っていた


2人は 高校の同級生だが


交際したのは ずっと後で


私が高校生の頃は


当時丸の内の銀行員だった姉には


大学生の アイビールックでイケメン(私の趣味ではない)の彼が居て


その彼に 私の部活合宿先に


布団を運んで貰った事が記憶に残っている←←余計な記憶だけどね😅


その彼が イギリスに留学するということがきっかけになり


お別れしたと姉から聞いているが


その後暫くして 義理兄と付き合うようになったのは


よくある同窓会で再会ってパターンの気がする。


寂しさと


哀しみ


そして 義兄への感謝を込めて



年末年始は


義兄のエピソードブログ記事を書こうかと思います。


因みに 私は 義兄のことを 最初から


鈴木君(仮名)


と呼んでいて


他の呼び方をしたことがないので


兄と表すのは いささか違和感を感じてます。


四十年以上 お兄さんなんて呼んだことはなく


鈴木君は  今までも これからも 鈴木君のままです。