2月1日 月曜日



みなさん こんばんは♪
今日は在宅ワークの日でした。
昨日の夜1月の家計簿の収支の計算したら
食費と電気代が
事の他跳ね上がっていました😅
予測は出来ていました。
お正月で
子ども達が帰省してきていたので、食費も電気代も単純に考えても倍額…になるわけで
プラス
年末年始の食材は
どうしても値もはるし
子ども達の好きな物作ってあげたいし…少し食材持たせてあげたし。
2月は
少し引き締めていかないと。
4人→3人→2人と
人数は減っているし
娘は独立して生活費も全て自分でやってるから
しっかり
貯蓄
出来てるはず
が
何故か
なぜか
以前とさほど変わらず
自転車操業です
旦那は
さぞかしや
貯金できてるやろ
って思ってるけど
① 通販サイトにはまり
② ヨガに通いはじめ
③ 美容外科に通い
④ 歯のホワイトクリーニング
そりゃ貯まらんわ


食費と電気代
削るしか無い
夕ご飯は
あるもので作りました
えーっと
違うちがう
話を昨日の続きに戻しますね
父を床屋さんに行かせて待つ間
泣きながら
遠い昔の話を始めた母
祖母は
わたしが14歳(中二)の2月に
亡くなりました。
ドラマに出てきそうなくらい
気の強くて、わがままで
気位の高い
可哀想なくらい
残念な人でした。
近所でも有名な
意地悪お姑さんでした。
実際祖母が亡くなった後
近所の人に
『よくあんな姑に耐えたわ。
あそこまでの人はそういない』
と言われたものです😅
祖父も父も
祖母には
何も言えませんでした。
父は
姉、姉、父、弟、弟、弟の6人兄弟でした。
1番上の姉は
異母兄弟で、わたしが知る範囲
殆ど交流がありませんでした。
誰もはっきりとは教えてくれませんが
親戚の話から想像すると
祖母が前妻と1番上の姉を追い出し、後妻についたのではとおもいます。
そんな祖母に
2番の姉だけが
唯一色々言ってくれましたが、やはり小姑の身なので
祖母の言うことを信じているし、肝心の祖母は、叔母に何か言われると直ぐに泣くから結局叔母も何も言えないんです。
結局は祖母と一緒に
母を出来の悪い弟の嫁として扱っていました。
祖父が亡くなってからは更に
母への当たりは酷くなり
祖母はしょっちゅう👆の娘に長電話をして
延々と母にいじめられていると(どっちが?ですけどね)
叔母に母の悪口を言って
寂しいから週末帰って来いと言っていました。
叔母も
大変だったと思います。
仕事もしていたのに
ほぼ毎週土曜日の昼間だけと
帰ってきていました。
叔母は
わたしや兄には
優しい人でしが
母にとっては
ほんとに
ウザい
鬱陶しい小姑
そういう存在感だったと思います。
土曜日のお昼頃にやってきて
必ず母の作った食事を食べて
味付けから食材から
祖母と一緒に
文句を言っていました。
それを兄やわたしにも
言って聞かせるので
泣きたいくらい辛かったです。
祖母が怖くて母をかばってあげる事も出来なかったのです。
お盆と正月には
父の姉弟が
それぞれの家族を連れて帰省してきます。
我が家6人も含めて20名以上
今でも覚えているのが
1週間くらい前から
母は食器や布団の準備をはじまるのです。
祖母は一切手伝いません。
父やわたし達が手伝おうとすると
男や子どもは
そんな事するもんじゃない。
◯◯さん(母の名前)の仕事やから
と
食事も1人で準備
おじさんやおじさんの嫁は
母を気遣って
色々声をかけたり、手伝ってくれました。
祖母のいない所では
泣いて『お義姉さん、ありがとう。ごめんなさいね。』と声をかけていました。
何故そこまで皆んなが
祖母に気を使っていたのかわかりません。
どう考えても
みんなに長男とチヤホヤされていた父が
ガツンと祖母に言うべきでした。
そんな屈辱的な年月を20年以上過ごしてきた母なのに
一度も母から
👆の叔母の愚痴を聞いたことがありません。
それどころか、
離婚して子供とも疎遠だった叔母の晩年は,母が面倒をみていたようなものでした。
ここでは伝えられない
今の時代では
考えられない
そういう話を母はしてくれました。
母からここまで聞いたのは
初めてでした。
それでも
ほんの一部だと思います。
忘れてしまったそうです。
辛い悲しい事は
覚えていられないようにできてます。
母が
『どういう因果かわからんけど
若い時からお父さんの病気で、
本当に苦労させられきた。
おばあさんが強すぎて
夫婦2人の新婚生活なんて無かった。
お父さんの
潰瘍性大腸炎で5年以上の
入退院の繰り返し
↓
前立腺癌
↓
潰瘍性大腸炎の再発
↓
顔面にできた皮膚癌の手術
その度に
入院して
毎日病院通って
わがままなじーさんの面倒みて
それでも、それでも
病気で入院している
お父さんが
なんやら
可哀想で情があったのかわからんけど
面倒みてきた。
◯◯(わたしの兄の名前)達家族には
ほんとに
お金の援助をどれだけしてきてかわからないし、
共働きしてたから
△△(甥っ子①)や
□□(甥っ子②)の世話もずっとしてきたんやよ。
知ってるよ
甥っ子にご飯を作って食べさせて、
塾への送迎、熱を出せば病院。
他には
遊び相手や、おもちゃゲームを買ったり、
甥っ子達が望む事は
何でもしていました。
兄嫁はといえば
週末だけの良いところ取りの
お母さんやってました。
兄は子育てはほぼノータッチだったはずです。
それが
今では甥っ子達にも兄嫁にも、
用無し…いやいや
汚い者扱いされてます。
まさか
最後に
こんな思いしないかん人生になるとは情けないわ。
頼りのお父さんは
難聴になって
全く会話がでかなくなって
おまけにボケてしまうなんて
もう疲れたわ
お暇をもらいたい
お父さんからも
家からも
離れたい
行くところもないけど
あの時
なんでアンタ達を連れて
家を出なかったんか
そんな事ばっかり考えて
泣けて泣けて仕方がない。
後悔はしてないけど
違う人生やったんやろかと思うと…………
泣きながら
話す母
黙ってうなずく事しかできませんでした。
わたしも泣いていました。
経済的には
何不自由なく育ててもらって
父には感謝しているし
病気に何度も立ち向かい
生き抜いてくれた事にも
尊敬しています。
ただ
ただ
母をしあわせにしてくれなかった事を思うと
言葉に出来ない
込み上げる怒りと
亡くなってしまった祖母を
今更ながら恨みたくなる
そんな気持ちになります。
わたし:
『おばあさんは
地獄に落ちたんじゃない笑』
母:
『そやね笑』
黙ってお互い涙を拭いました。
それでも
生きていかなければいけません。
父も母も
わたしも
二人とも
長生きしてくれてありがとう。
読んでいただきありがとうございました。
では
また
