初めてアンティークに触れたのは、避暑地の公民館で開催されていた蚤の市だった。
立秋を過ぎ、カーディガンをはおっていた夕方で、10代最後の夏。
白樺の木に囲まれた薄暗い広間には、
華奢なカップ、柱時計、市松人形、レースの敷物、猫足の椅子などの
和物からアジア、西洋のアンティークが雑多に並べられていて、
自分がどこにいるのかわからなくなるようだった。
自分のお小遣いで買えるものはほとんどなかったけれど、
とっても魅力的なブローチがあって、何度もその前を行き来してしていると、
店主が笑って「少しお値引きしますよ」と言った。一緒だった祖母が少し出してくれて
ブローチは私のものになった。2ミリ直径の色とりどりのガラスが集まって、丸い形になっていた。
父は「そんなものの値段はあってないものだし、本当にアンティークが怪しい。」と
夢のないことを言ってくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次は翌年の春。
その頃、初めての海外、アメリカでホームステイをしていた。近所にアンティークショップがあって
私がショウウインドウを毎日のぞいていたのを知っていた友人達がお金を出し合って、
星条旗のブローチを買ってくれた。20才の誕生日プレゼント。今でも大事にしまってある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それ以来、私はアンティークショップが大好きになった。
こげ茶の家具がならぶ空間は時間が止まってしまっているようでとても落ち着く。
でも、結婚した人は、誰がどんな状況で使ったかわからない中古品だと嫌がって
アンティークを買うことはなかった。お値段がけっこういいという現実もあって…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そういえば、この二年間、アンティークショップをのぞく余裕はなかった。
先日、久しぶりに行ってみると、そこにあったのは、ずっとずっとほしくて何度もみてしまう
ライティングビューロー。いろんな形や大きさがあるけれど、その時見たのは
さほど大きくなくて、ガタついてなく、小さく花が刻印されている。
ふたを開けたところにある本棚の仕切りの曲線がとても洒落ている。
「とても状態がいい。」とお店の人がいう…。
夫にも子供にも机があるのに私だけ無いのはちょっと不公平だと思っていた。
しかも息子なんて、机は物置と同じで全然使ってない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
フルタイムで働いていた時はともかく、それ以降は、パートをしてもその少ない報酬は
子どもの教育費に消えていったように思う。自分名義の貯金もいつか家族で使うかもと思って
手をつけなかったけれど、あれを使えば、私の物になる1930年後半のイギリスから来た小さな机。
一体どんな女の子が使っていたのだろう。ふたを閉めると鍵がかかるようになっている。
悩ましい。だって今まで数多くみてきたライティングビューローの中でも三本の指に入る魅力。
息子の携帯に出したお金、行かない学校の学費、非行デビュー以降、出してきた金額に比べたら
大したことないのでは?息子には、この半年しなくなってしまったバイトを再開し、お小遣いは
稼いでもらわないと!教育費が足りなければ自分で稼いぐくらいのガッツがほしい。
それに夫の愛車に比べれば、なんてお手軽!
迷う。どうしよう。
大体どこにおけばいいのかななどと検討している間に
だれかの物になりませんように!