連日、親からの虐待で殺されてしまった子どもの記事を目にする。
11才の女の子。親からの虐待から守るため、養護施設に収容されたが、
行政が、親が落ち着いてきたという判断の元、家庭にもどす。
そこで日常的に虐待が行われ、練習用ゴルフクラブで殴られて
殺されてしまった。逮捕された母親はしつけだったと供述。
この女の子。施設から家に帰る時、嬉しかったかな。
ママと暮らせるのが楽しみだっただろうか。
せっかく暮らし始めたのに、再度虐待されて、でも、誰にも
相談できなかったのだろう。子どもは親を悪く言わないと聞く。
だれかに一言、「殴られて、蹴られて、痛い」と訴えられていれば
と思うけれど、これを子どもに求めるの酷なのだろう。
最期、どれだけ痛くてどれだけ怖かっただろう。
やり返すこともなく無抵抗だった?
薄れゆく意識の中で何を考えだろう。
11才。まだママが大好きだったのではないだろうか。
誰しも暴力のスイッチが心の中にあるのかもしれない。
私も、息子の寝顔を見ながら、ずい分と思い詰めたことがあった。
暴力のスイッチが入りやすい人、入らない人。
どこに差があるのだろう。生育歴?性格?環境?
夫は息子に体当たりされて以来、息子へ手をあげることを封印したが、
その後も物に当たったりしている。スイッチの制御が難しい人。
でも、自分が痛い思いをすることで、息子への暴力を制御できるように
なったことを考えると、虐待に対する法的な罪をもっと厳しくすることで
ずい分虐待が防げるのではないかと思う。
詳しくはないけれど、アメリカのように、虐待で通報されたら刑務所行きと
なれば、連日の胸痛む記事がずい分減るのではないかと思う。
スイッチの入りやすい人の自覚や変化に期待する日本の現状では
絶望しながら痛くて辛い思いをする子どもは減らない。
虐待の厳罰化を望む。
10年ほど前、父の遺品を姉と整理していた時、簡単な一行日記がでてきた。
その中に、わたしにとってショックな記述が二つあった。
ひとつは「掌中の珠、割れる」これは私が父に相当心配をかけた時のもの。
姉には意味がわからないようだった。二つ目は「みなみの結婚、よかったか」。
結婚したばかりの頃、たまたま出張先が父娘で同じで、二人で食事をした。その時に私が
仕事、友人、趣味などの話をしたけれど、夫の話題を出さなかったらしい。それで、父は心配したようだ。
いくつになっても親は子どもを心配してしまうものだと思った。
時々、私が夫の愚痴を母にこぼして、母が心配しても、父はいつもこう言った。
「亭主の好きな赤鳥帽子」
普通は鳥帽子は黒だけれど、もし、亭主が赤を好むなら、家族も赤を好まなければいけない
一家の主人のいうことには従わなければならない…
多分、父は夫の性格も大体わかっていたし、私が気が強くて(今は弱っていますが)
ワガママなところがあることも承知していたと思う。一度、人生を共にすると決めたなら、
文句を言わずに努力しろと言いたかったのかな。今となっては確かめる術もない。
ちなみにその一行日記には、傷心の母には見せられない内容もあり、姉と相談して
お棺の中にいれた。父にもう一度会って、いろいろ相談したとしても、昔人間の父のことだから
やはり「亭主の好きな赤鳥帽子」と言うかもしれないな。
それとも「もう大人なんだから、親に相談するな」というかも。
う~む。後者のような気がする。