10数年以上前の秋、父がICUに入ったとの報をうけ、姉は旅行をきりあげ、兄は出張先から、私は夫が
180キロで高速を飛ばしてくれて、病床に集合した。その一時間後には薬でしばらく眠らせて、
というか意識をなくさせて、治療することが決まっていて、もしかしたら、これが最後になって
しまうのではと悲痛な面会だった。父はその日が幼稚園の運動会だったハルにむかって
「ハル運動会はどうだった?」と聞いた。「二等賞だったよ」とハル。
「お父さんが特訓してくれたお陰だ」と父。夫が運動会の少し前から、ハルとかけっこの練習をしていたのを
知っていたらしい。それから母に家の所用を伝え、「後は医者にまかせるだけだ」と言った。アッと言う間に
15分の面会時間が終わってしまい、後ろ髪をひかれる想いの私たちを目で追いながら
父が「おい、ハル。頑張れよ」と声をかけると、ハルはにっこり笑って、もう一度、枕元にもどり、
父と手をつないだ。結局、これが父の最期の言葉になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実家に三きょうだいとその配偶者や子どもが集合して、合宿のような一カ月が始まった。
意識がないのに苦しそうな父の姿、専門用語がとびかう医師との連日の面談、参っていく母に加えて
遠距離通勤もあって、それぞれがストレスでいっぱいだった。私は、チックが出始めたハルがとても
心配だった。悲しい毎日なのに、大勢で囲む食卓はいつも賑やかで本当に不思議な一カ月だった。
母と兄が大ゲンカして、一晩、兄が帰ってこないこともあった。父のいとこの医師から、父の治療について
兄だけに意見され、誰にも言えなくて、兄は相当辛かったのだと後でわかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ICUでの治療が奏功せず、個室に移されることになった。家族で過ごせるカウントダウンの日々。
その個室で、兄はクラシックをかけ続け、姉と私は父の子どものころから祖父になるまでの写真を
壁一面に貼った。親族だけでなく、父の友人、俳句仲間、仲人した夫婦、部下が次々とお見舞いに
きて、意識のない父の枕元で、父との思い出を語っていった。哀しいけれど、楽しい思い出を聞いて
明るい笑い声も響く空間だった。特に高校時代の親友は当時のアルバムを持って日参し、
母のいない時に、父の大恋愛の話をしてくれた。若かりし頃の父の言動に胸をうたれた。
それによって、私たち三人は知らなかった父の一面や考え方を知らされ、その誠実な生き方を
誇りに思ったような気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、とうとう最期の時、
父と折り合いが決してよくなかった兄が泣きながら感謝の言葉を言っていた。
父を「変人」とひそかに言っていた姉は
「お父さんの生き方は子どもへと伝えていきます」とかっこいいことを言っていた。
かけつけた夫は「お世話になりました。本当にありがとうございました。」と父の手を握った。
父に皆からの「ありがとう。お父さん」は聞こえただろうか?私は自分がその時どうしていたのか
思い出せない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入院から死までの一カ月間、合宿状態の実家できょうだいで激しく口論したり、医師の見解を巡って
相談したり、交代で深夜まで起きている時にそれぞれの配偶者と話をしたりした。
死後、自分たちが思っていたよりも、どんどん大きくなってしまった葬儀の喪主を兄が務めた時も
親族の哀しいもめごとが起きた時も三人で何度も相談した。この濃密な一カ月間で、きょうだいが
より近くなった気がする。
父は寡黙な人だったから、子どもにアレコレ言うことはほとんどなかった。でも、この死までの一カ月を
私たちきょうだいに与え、「皆で協力していけ」というメッセージを遺してくれたような気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
姉と兄に連絡してみよう。話したい事があるって。
眠れない夜、私の足元にうずくまる犬を連れて、外にでてみると、
電灯の光がいくつかぼんやり浮かび、金木犀の香りでむせかえりそうになる。
毎年、胸いっぱいに吸い込む大好きな秋の匂いなのに、今年は、体調のせいか、
ねっとりと甘すぎる香りがまとわりつくような気がする。
10数年前、父が入院してICUに入ったと連絡がきたのは、ちょうどこの金木犀の季節だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
姉、兄、私は仲がよいきょうだいだと周囲から言われる。これは親にもっとも感謝することかもしれない。
自分が母親になってみて、育てられ方について考えてみると、きょうだい仲良く育ったのには
三つの要因があると思う。
ひとつめは、父の転勤に伴って何回かせざる得なかった転校。初登校の日を始め、心細さを共有した。
ふたつめは、母がきょうだいの前では、それぞれの子どもを誉めなかったということ。
一人だけの時にしか誉められなかった。比較もされなかった。
だからきょうだいの優劣を感じることがなかった。
みっつめは、それぞれの子どもが起こした諸問題を親が絶対に他のきょうだいには
知らせなったことだろう。これは母が育児のためにしたのではなく、母の「恥」は他言しないという
ある意味、見栄っ張りなポリシーからだと思う。例えきょうだいのことであっても。
姉の素行不良、兄の赤点について私が知ったのは、ハルが非行デビューしてからだったし、
私が親の心を痛ませたことは、姉兄は今も知らない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記三点に加えて、父の死までの一カ月間の濃密な闘病生活がきょうだいを結びつけた。
人の死ほどの強烈な体験はないのかもしれない。
今思えば、頑固で寡黙で、姉に言わせると「変人」だった父から私たちへの
「きょうだいで協力するように」という最期の教訓だったように思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在の私の体調や、今まで言わなかった夫とのことなどを
姉、兄にわかってもらいたくなっているこの頃。
三人で会えるか聞いてみようかな。
三人だけで会うなんて、子どもの頃の留守番以来かも。
つづく
心療内科、二回目の受診。下の子とも来たので三回目の診察室。
部屋の隅にギターが飾ってあるのに気づいた。
この先生が弾くのかななどと、ぼんやり思っていると、医師が笑いながら
「下のお子さんは大丈夫ですよ」と言って、この二週間の様子をきいてきた。
●ターミナル駅の人ごみに耐えられなくて座り込んでしまった
●最近、三時間くらいしか眠れない
●週3日の短時間だった仕事を週5のフルにした
●でも、仕事が終わって、自家用車にもどると呼吸が乱れたり、
泣いてしまったりする
相変わらず、ボソボソと静かな口調で、眠そうな医師が、
初めて強い口調で、
「この状態で、仕事を増やしたのは、通常、おすすめできないことです」
と言った。
「でも、家にいても、息子のことが気になるだけですし…」と言うと
再度、「おすすめできない」とはっきり言った。
仕事が緊張状態をより強くするから、車にもどった時に反動がでてしまうということ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「夜眠れないのは息子さんの外泊のためですね」と医師は言うと、
次のように言った。
●息子さんにとっては、寝ないで待っていてくれることは、見捨てられてないと
思える、まあ、良いこと
●これが、全く待っていないと寂しいかもしれない
「ご主人に、夜中に待つのを代わってもらうことはできますか?」
「無理だと思います。」と答えながら、涙がこぼれた。
ティッシュの箱を私の前に置いてくれた医師は、それ以上、夫についてはきいてこなかった。
「そうですか。あまり薬増やしたくないけれど、眠れるように薬を追加してみましょう。」
「12時に寝ようと思ったら、11時半には部屋を暗くして、休むようにすることが大事です。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
帰宅して、上記のことを夫に伝えると、
「なんで、待つのかわからない。どんなに注意しても勝手に遊んでいる。待つ必要がない。」と言い切った。
やはり…と思いつつ、
「そういう考え方がすごく冷たく感じる。先生も、待ってなければ、息子は寂しいかもしれないと
言ってたよ」と一応伝えた。
医師が前回言っていた、「着々と淡々と」を夫は自分に関して、パーフェクトに実行しているけれど、
非行の子どもを持った親としてはあまりに無責任なのではと毎回思う。
現実から目を背けている点で、父子がソックリなような気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とっても信頼できる医師、また、次の予約も入れるように言われた。
でも、短い時間で、まだまだ話せてないこと、話したくないことがある。
この先生に後どのくらいお世話になるのだろう?
チャールズ・インガルス。
多分、彼を知っている女性のほとんどが憧れるだろう夫。もちろん私も(笑)
子どもの頃、土曜日の六時といえば 大草原の小さな家。家族でそろって観ていた。
農作業も大工仕事もバイオリンもできて、ちょっと思い込みが激しいけれど愛情深い夫チャールズ、
賢く強く優しくてお料理上手な妻キャロライン、初恋の相手だった二人が結婚して、
かわいい子どもたちに恵まれ、温かい家庭を築いていく。
アメリカ西部開拓時代、インガルス一家のお話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結婚前、夫は言った。「大草原の家大好きなんだ。」
てっきり、あのような家庭を築きたいのかと嬉しく思ったが、
夫は、あの自然に囲まれたライフスタイルが好きなだけだったと
判明したのは結婚してしばらくしてからだった。
ちょうど、その場に居合わせた友達は大笑い。すっごい勘違い、ギャグでしょと言われた。
確かに、あーあ、ありえない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
記憶があいまいだけれど、こんな内容の話があった。間違っていたらごめんなさい。
災害のため農業収入が期待できない年に、自信をなくしたのか
チャールズは「自分は平凡すぎて、後世に何も残せない。」というようなことを言った。
そして、家計の足しにと机を作って売る。
その後、突然、番組の舞台がオークション会場になる。時は現代。
ずっと昔、チャールズが作った机が高値で落札されて、買った女性が
「このC.Iの刻印がある机はしっかりできていて、大人気。今日やっと手に入って嬉しい。」
C.I…チャールズ・インガルス
この理想の夫が作った机はアンティークとなって、時を超え使われ続けたというお話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しばらく前にブログに書いた1930年のイギリスから来た机。
丁寧に修理されて、11月になったら、私が持ち主に。
清水の舞台から飛び降り、独身の時の貯金をはたいた。
少し物を捨てて、置く場所を作ろう!
この机と同じ雰囲気のペン立てやランプを探そう!
久しぶりにワクワクするイベント。
幼い頃、クリスマスの朝、プレゼントをみつけた時の気持ちと似ている。
チャールズの作った、がっしりしたアメリカっぽい机にも魅かれたけれど、、
選んでみたのは繊細なラインのイギリスの机!
はるか遠く日本にやってきた机も、そこで過ごす自分の時間も
大切にしていきたい。
四万十川の素朴な風景画が飾られている心療内科の待合室。
予約制のせいか、私たち親子しかいなくて、緊張している下の子の背中を
ポンとたたいた。大丈夫だよって。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しばらく前に、私がここに来院した時、医師から、下の子も是非連れてくるように指示されていた。
雨上がりの会から、非行っこのきょうだいには十分気をつけるように
アドバイスされていたことと、最近、この子が学校を休むことがあったので心配で、
ちょうど良い機会だと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
頑なに来院を嫌がったが、ケーキとショッピングで釣って、ようやく連れてきた。
名前が呼ばれ、親子で診察室へ。背筋を伸ばしている子を見て、医師が
「まじめなんだね。お母さんには外にでてもらおう」と言った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
30分後、明るい顔で、下の子が私を呼びに来た。
以下、医師の話。
●家庭の中で立ち位置がわかっている
●非行っこのきょうだいとの関係もよい
●友達に恵まれている
●現在、勉強に集中できないらしいがそれは年相応
●通院の必要なし
そして、下の子を見て
「着々と淡々と自分のやるべきことをやりなさい。非行のことは両親にまかせて
自分のことだけに集中すること。それが絶対あなたに幸せをもたらすよ。」
思わず、目がうるんで視線を落とした私には
「お母さんは当分きてくださいね。」
と笑った。
下の子の感想は
「先生の声が小さくて、よく聞き取れなかったけれど、まあ、いい先生だった。」
だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、念願のショッピングとなって子どもはご機嫌だったが、
結局、買ったのは、夫の叔父夫婦への快気祝いだけになってしまった。
夫の叔父夫婦なのに、実家から離れて育児をしている私を本当に大事にしてくれた。
ここを実家と思えと言ってくれて、ずい分甘えさせてもらった。
飛行機でしか行けない町で老後を過ごすと引っ越してしまったけれど、本当に大事なご夫妻。
喜んでくれるといいけれど。
今日は素敵な快気祝いが買えたこと、何より、下の子が心配ないとわかったことが
本当に嬉しかった。ケーキも格別な美味しさ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
着々と、淡々と、自分のやるべきことをすれば、
迷っている子も必ず、軌道修正できる。
非行にふりまわされてはいけない。家族がふりまわされると
迷っている子がますます迷う。
という医師の言葉。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とはいえ、今夜も帰宅しない息子。
実際には、安眠できない夜が続く。これってふりまわされているってことになるのかな?
気持ちが不安定で、心が曇る。
でも、この医師にめぐりあえたこと、奇跡のように思う。
着々と、淡々と…か。できるだろうか?私にも。